ブラックホールに堕ちるような
「炬燵で蜜柑って冬の贅沢よねー」
「ずーいぶん格の低い贅沢だね」
「……相変らず口が悪いわね。猫被ってるときのやんわり口調はどこにしまってるの?」
「さあ? 必要にかられると勝手に出てくるけど」
「うわお。羨ましいことこの上ない」

 ぼんやり面白くもない年末の特番を見ながら、蜜柑の皮を剥ぐ。蜜柑を一房口に含んでそれを飲み込むと、のとがつまらなさそうにテレビのチャンネルを変えた。「どの局も大して変わらないと思うけど」と言おうかとも思ったが、まあ、やはり自分の体は大切なので言わないでおいた。
 炬燵の中の足をほんの少しだけ動かしながら、意味もなくひとりごちる。

「あー……冬場は冷えるね。腰が痛い」
「年寄り」
「酷い。私、まだ華の10代よ。壊れそうなものばかり集めてしまうガラスの10代なんだから」
「その表現こそ年齢疑われるでしょ」
「痛いとこ点くわね」

 ふう、と息を吐きながら湯飲みを持ち上げると、中にはお茶が入っていなかった。――もう飲んじゃったのか。冬は乾燥してるから水分が恋しくなるよな、などとりとめのないことを考えながらのとを小突いた。

「のと、お茶もう無い」
「こっちもないから淹れて」
「やだよ。のとが淹れてよ」

 そう言うと、のとが目に見えて顔を顰めた(あ、まずい、かな)けれど、すぐにその顔がいつも通りの顔に戻った。
 仕返しされないなんて、何か悪いものでも食べたんじゃ、と心配しかけたのも束の間、のとが楽しげに声を上げた。

「最近さあ、犬を飼いはじめたんだよ」
「犬? 突然何の話?」
「その犬を躾けるのが楽しくて楽しくて」

 無視ですか。私の疑問はさっぱり無視ですか! なんて、思っていても言えるはずがなく、私は残っていた蜜柑をひとつ口に放り込んだ。
 にしても、今日家に来たときは外に犬小屋なんてあったかしら。犬の鳴き声らしきものも聴かないし、相当凄い躾をしたに違いあるまい。相手が何だろうと手抜きはしないのとのことだ、想像を絶するに違いあるまい。――憐れ、犬。

「……流石ね」

 軽い皮肉のつもりだったが、のとは気付いていないのか、はたまた気付いていて無視をしたのかわからないが、その犬の話の続けた。

「最近ひなじの野郎が使えないから、ちょうどいいストレス解消で」
「……」

 そりゃあ、讃岐さんという彼女ができた(え、そうなんだよね?)ら、のとの我が侭に付き合ってる余裕なんか無いでしょうよ。頭の中でそう反論しながら、のとの言葉を右から左に聞き流した。
 こういう話は聞いている振りをしながら聞き流すに限る。まあ、聞き流しているということに気付かれるとかなりの痛手になるんだけどね。

「英語を聞かせたときなんてもうたまんないね。あとは洋風のものを食べさせるのも……」

 ふふふ、テレビの光が眩しいなあ。――ああ。そういえば、年越し蕎麦の準備を全くしていない。こうやってうだうだやってるだけで、今の今まで蕎麦の存在をすっかり忘れていた。どうするんだろう。店屋物でもとるのだろうか。

「……のと。犬の話はまあ良いとして、年越し蕎麦ってどうなってるの?」
「ああ、その辺は大丈夫」
「店屋物の予約でもしてるの?」
「そんなものより安上がり」
「うーん……よくわかんないけど、のとに任すね」

 犬の話は、私が口を挟んだおかげか、そこでうやむやになって終わり、私は内心ほっとした。
 そして、目の前の蜜柑の皮をゴミ箱に放り込むと、何故か湯飲みにお茶を注いでくれている両手が目に入る。

「あ、ありがとうございま……!?」

 反射的にお礼を述べてしまったのだけれど、――ちょっと待て。誰ですかアナタ。白の割烹着に緑地の和装。太眉でおどおどした感じの、背の高めの男性が驚いたような眼で私を見て、にへらと微笑んだ。私は頭が痛くなったような気がした。

「……のと」
「何?」
「この方、どちら様?」

 そう問うと、のとはなんとも楽しそうな表情――でもあまり好きにはなれない質の笑い方――でこう言い放った。

「僕の犬」

 先生! 何があったのか考える時間と、それを納得するまでの時間と、「それで本当にいいのか」と犬くん(仮名)に問い掛ける時間をください!
 心の中で声高々に言っている間に、のとは湯のみを彼に差し出して、「こっちにも」と言っている。
 ああもう。頭がぐるぐるしてる。この人はひなじくんがいなくなったからって連れてこられたのとの下僕さんみたいなもの? 今までの話を引き出して総合するとそういうことになるけど……でも。

「年越し蕎麦、そろそろよろしく」

 のとの言葉に、彼は頷いて台所に歩いて行った。

「……今のって」

 私は震える声でそれだけ言うのが精一杯だった。まだこれを夢か見間違いか何かだと思い込みたがってる。

「だから犬だって。奴隷、下僕ってところでも構わないけど」
「――それ、彼が構うと思うんだけど」
「良いの良いの。あ、犬じゃなくて豚っていうべきかな」
「変わってない何も変わってないわよ、のと!」

 結構大きな声で言ったけれど、のとはそんなものどこ吹く風で、気にする風もなくまたぼんやりとテレビに視線を動かした。
 私は溜息を吐きながらも思っていた。のとはこういう奴だ、と。

「あの人、モダ北の人じゃないよね。見覚えない」
「ああ。バルヨナっていう不良高の生徒」
「……嘘でしょ? 見た感じ、不良高には似合わない風貌だったわよ」
「ま、確かに。でもま。は気にしなくて良いんだよ。あんなののことなんて」

 あんなの、は無いんじゃ。心で思いながらも、口では別の言葉を発していた。

「あの人、名前は?」
「どうしてそんなこと聞くの」

 のとの声色が、ひやりと冷気を帯びる。研ぎ澄まされた刃が、私の眼前に振り下ろされている。
 ……え、なんか踏んじゃいけないもの踏んだ?

「だ、だって、のとの所有物をおいそれと軽々しく犬なんて呼べないってーあははは」

 背筋がぞっとするのを隠しながら、私は悪ふざけを装って返事をすると、のとが呆れたように溜息を吐いた。のとの瞳の冷然さが、ふっと融ける。

「……まあいいか。あれはすんき」
「ふぅん……」

 どう返事をするのか妥当か逡巡してみたけれど、どうとも返事ができなかった。けれどのとは私の返事を気にした様子もなく、お茶をゆっくりとすすっていた。
 つまらないテレビ番組の白ける笑い声の奥で、掛け時計の秒針の音が刻々と時を刻んでいく。もうすぐお蕎麦ができる頃かな、と思っていると、不意にのとの声が振ってきた。


「ん、なに」
「今何時」

 自分で見ればいいのに。と思いながらも、言えるはずがなく。私は掛け時計のほうに視線をやって、すぐに振り返った。

「11時30分ちょい。あと30分くらいで年が明――」

 明けちゃうみたいよ、と言おうとしたが、続かなかった。目の前にあるのはきれいなのとの顔で。一瞬合った眼が、「目ぐらい瞑ったら?」と言ってるような気がした。塞がれたままの口から、のとの熱が伝わる。
 テレビ番組がCMに切り替わったのか、音声が少し大きくなると、すっとのとが離れていった。あまりのことに状況が掴めない。え、キスですか。何てことしてくれたんだ、この男!

「ねえ、知ってる?」
「何をっ!?」
「僕がを一番好きだって」

 聞いた瞬間紅潮する頬。思わず反論しようとしたら、のとは何もなかったかのように立ち上がって「蕎麦できたみたい」と言って、わらった。
 その表情は鋭いくせに優しくて、結局、今年も私はのとに敵うわけがないんだなぁ、と思い知らされた。

「……のと」

 のとに倣って立ち上がりながら、ぽつりと呟くように名前を呼ぶ。

「ん? 何、
「今年もいろいろとありがと。来年もよろしく」

 私の言葉が意外だったのか、のとは眼を見開いた。こういうふうに、のとの表情を少しでも崩せると、すごく嬉しい。楽しい。もっと見たい、とも思う。
 ……反撃というか迎撃が怖くて、実行に移すことは滅多にないけれど。

「こちらこそ。よろしく」

 そんな言葉が注がれて、ちゅ、と耳のすぐ近くにリップノイズが落ちてきた。慌てて右耳をおさえて三歩後ろに下がる。……! 耳熱い!

「のっ、のと!?」
「まだ甘いね。来年こそ僕を出し抜けるように頑張りなよ」

 そういってまた、私の好きな笑い方で、のとは笑った。耳だけじゃなくて、全身が燃えるように熱い。
 ……もうお蕎麦なんか冷静に食べれないよ。のとのばか。





write:2006/12/28 rewrite:2008/12/26 up:2008/12/28
途中まで書いて放置してた年明け小説をサルベージ、リライト、アップ。
基本の骨組み作ったのは二年前なんで、すんさんはのと様の家にいらっしゃいます。さぬきさんとひなじの話も、あの頃は確かタイムリーだったんだけどねぇ。
何で書いた頃にアップしなかったかな、これ。何かあったっけ? 正直今更過ぎますよねぇ……貧乏性なんでアップしますけどね!
黒のと様ももうずっと見てないから、オリジナルなんじゃねーのと思わないことも無い。本家じゃたまに出てもほぼ女装スタイルだしさー。
一応久々ブラックシリーズのつもり。いちおうね。