エリンギウム
「こんにちはー」

 旧放送室の重い扉を押し開きながら、間延びした挨拶を口にする。いつもなら同じように挨拶(か、すずかさんの「にー!」という傍から聞いてるとわけのわからない、しかし何故か挨拶だとわかる声)が返ってくるんだけど、今日はしん、と静かなまま。
 まだ誰も来てないのかと咽喉の奥で呟きながら扉を閉める。誰か来るまで何してようかなあ、と考えながら振り返ると、誰もいないと思っていた放送室に人影があった。

「え? はとばさん? ……もしかして寝てます?」

 その問いに返答はない。じっとはとばさんを見つめても、椅子に腰掛けたまま、うつらうつらと頭が不安定に揺れるだけだった。……頬杖もしないで眠って、首は痛くならないんだろうか。
 起こさないように離れた椅子に腰掛けて、遠くからはとばさんの顔をうかがう。今日はタオル巻いてないんだ、とか、綺麗な顔だよなあ、とか、つらつらといろんなことを考えながら顔を見つめる。はとばさんが起きてたら、恥ずかしくてこんなに長時間見つめるなんてできないし。
 他の人だったら、沈黙が寂しくて「早く他の人来ないかなー」と考えそうなのに、全然そんなこと思わない。早く起きて欲しい、とは思うけれど、こうやってじっくりはとばさんのこと見れる機会もそうないし、もう少し寝ていてほしい、なんて、思ったり。
 何分ぐらいそうしていただろうか。ふと肌寒さを感じて、私は腕をさすった。一時期物置として使われていただけあって、この部屋はしょっちゅう冷暖房が利かなくなる。まだ肌寒いこの時期は、ちょっとした上着が欠かせない。カーディガン持ってきてたよね、とカバンの中を探ってカーディガンを取り出す。とりあえず羽織ろうとボタンをあけてから、はとばさんのほうを窺った。
 ……寒くない、かな。
 そっと立ち上がり、カーディガンを胸の前に抱えて、はとばさんに近寄る。いつもだったら近づけないような至近距離で顔を覗き込んで、起きてないことに少しの安堵を感じながら、そっと手に持っていたカーディガンをかけようとそっと腕を伸ばした。

 その、瞬間。はとばさんの青い目が、ぱちりと開いて、目が、合った。慌てて身を引きかけると、はとばさんに右腕を掴まれて、手首に、口付けられた。心臓が、はねあがった。
 驚きと恥ずかしさで腕を引こうとしたけれど、はとばさんの手がそれを許してくれない。ぱさり、カーディガンが、落ちた。

の、脈」

 唇の動きと、息の感触に肌をなぞられる。薄い肌に、はとばさんの吐息がかかる。血管がざわめく、肌が戦慄くような感覚がした。
 はとばさんの言葉の意図がわからない。そして、問いかけようにも上手く言葉にならない。

「……早いな」

 はとばさんの吐息が肌を粟立たせる。まるで熱された飴みたいに背骨が蕩ける感じがして、私はずるずると床に座り込んだ。それに従って、はとばさんの口元から手首が少しだけ離れていく。
 けれどはとばさんの唇の感覚が、吐息の感覚が、消えない。

「は、とば、さん」

 私の声は、思ったよりも震えていた。掠れて消えそうになってしまうから、もう一度、ゆっくり彼の名前を呼ぶ。

「はとばさん」

 彼の目をまっすぐ見つめる。はとばさんは椅子に座って、私をまっすぐ見下ろしていたけれど、おもむろに椅子から降りて、私と視線の高さを合わせた。
 どうしよう、目尻がとけそうなくらい熱い。今、わたし、きっとすごい真っ赤、だ。



 腕が引かれて、はとばさんに抱き締められた。自分の心音が体内で反響し合う。早まる、高鳴る、アゴーギク。はとばさんの手が、強く強く、私を包み込む。

「……はとば、さん」

 恐る恐る彼の背に腕を回して、そっと体を預けた。はとばさんの心音が聞こえる。私と同じくらい早い心音が、聞こえていた。
 はとばさんの唇が、近付いてくる。私はゆっくり目を閉じて、そしてそのまま、ふりそそぐ口付けを、受け止めた。
 言葉なく繋がった想いが、じわじわと、膨らんでいた。






write:2009/02/21 up:2009/02/22
初心にかえって、私が理想としたはとばさん……のつもりだったんだけど、ちょっと暴走させてしまった。いや、私のせいですけどね。
本当は起きてたけど好きな女の子が自分のことガン見してるから起きられなかったBIG BOSSというお話です。近付かれてもう辛抱たまらん! となってしまったと。……いやあ楽しかった。もはや自分しか楽しくないだろうという自覚は多少ある。
私さえ楽しめればもうそれでいいよ! そんな小説で他にも楽しんでくれてる人がいるって時点で僥倖さ!
この小説は、一応「昼寝はとばさんとヒロインさん。甘さは書きやすい匙加減で!」というリクエストに私なりに沿った結果……です、よ。
とりあえず、この小説は読んでくださった皆様方と、リクエストしてくれたサナたんに!