橙矢くんにブラウニーを
 いつも通り、高校から自宅に帰らず、荷物を持ったまま直接九州防衛機関の本部に向かう。
 いつもと違うのは、前日に深夜のテンションでノリノリで作ったバレンタインのチョコが入った紙袋を持っていることくらい。今この黒い紙袋に入っているのは、ダンジジャーのみんなの分のチョコレートだ。あげる人に合わせ、中身だけではなく包み紙とリボンまで変えるという手の込みよう。
 ――昨晩のわたし、ちょうすごい。
 我が事ながら、ちょっと感心してしまう。深夜のテンションはおそろしい。……とは言っても、ラッピング用品は昼――というかその前の休日のうちに買ってたから、こうなるのは想像はついていたけれど。

「あっ! せんぱーい!」

 呼び声に振り返れば、橙矢くんが駆け寄ってきた。
 わたしの方に駆け寄る橙矢くんは、まだダンジジャーの隊服ではなく制服姿だった。今日は学校で何か用事があったのかな?

「橙矢くん」

 ちょうど名前を呼んだ瞬間、橙矢くんがわたしに追いついた。

「めずらしいね。部活、長引いたの?」
「はい! 今度の大会について相談してきたんです」
「なるほど。次……は団体戦って言ってたっけ?」
「そうです、今回も頑張っていきますよ!」

 橙矢くんはにこにこと笑いながら、肩にかけている弓袋と矢筒をゆるりと撫でた。
 その仕草からは橙矢くんの弓道に対する思い入れが窺い知れて、わたしはなんだか嬉しい気持ちになる。

「あ、そーだ」

 ついでだから会った順に渡してしまおうと、がさがさと紙袋の中を漁り、オレンジのラッピングペーパーに包まれた箱を取り出す。袋の中で少し歪んでしまったグリーンのリボンを軽く整えて、橙矢くんの方を振り返る。

「橙矢くん。これ、バレンタインのチョコ」
「えっ、ボクにくれるんですか?」

 橙矢くんがきょとんと首を傾げる。

「うん。みんなにはお世話になってるし、準備してきたの」
「わあい! ありがとうございます、先輩」

 橙矢くんは、綻ぶような笑顔でお礼を言うと、興味深そうにラッピングのリボンを指で撫でた。

「手作りですか?」
「うん、橙矢くんのはブラウニー。……橙矢くん、料理上手だし、お口に合うかわかんないけれど」
先輩だって料理上手じゃないですかー」
「そういってもらえると嬉しいなあ」
「もー、ボクは本気で言ってるんですよ、先輩!」

 橙矢くんがむう、と唇を尖らせながら言う。
 その仕草がなんとも可愛らしくて、わたしは「はいはい」と言いながら、橙矢くんの頭をやわやわと撫でた。



紅輔くんにトリュフを
 本部に着いて橙矢くんと別れたわたしは、事務室に向かった。
 ひとまず今日中に済まさなければならないことがあるか、確認しなくちゃいけない。特に、ワルカー関連の情報は毎日のように情報が更新される。ワルカーには平日も休日も関係ないし、ワルカーがどういう理由で、いつ、どうやって出現するか――まだ、全然判っていないのだ。
 わたしは自分のデスクの上においてある書類に目を通した。ええと、パトロールの巡回経路の見直しについて……ああ、そうだった。ダンジジャーのみんなに聞いて報告書作らないと。まあ、パトロールの報告書作るのはいつも通りだけど。他の書類は――と、二枚目の書類に目を通す。ダンジジャーたちの通信機の改良についての書類だった。

「これ先に済まさないと。技術開発本部行こう」

 他の資料もチェックして、それ以外に重要な用がないことを確認したわたしは、向こうの人に渡す資料を紙袋に突っ込んで、事務室を出た。

「あっ、ちゃん!」

 明るい声に半身だけで振り返れば、そこには隊服に身を包んだ紅輔くんと、紅輔くんの肩という定位置に座るヒヨコメカがいた。

「紅輔くん、総務に何か用事?」
「ううん、総務じゃなくて技術開発本部! 今日はヒヨコメカのメンテなんだ」
「あら、偶然。わたしも技術開発本部に用事なんだ。一緒に行こうか?」
「うん、行こうぜー」

 紅輔くんが意気揚々と歩き出す。わたしも紅輔くんに半歩遅れて歩き出した。

「今日さ、バレンタインだったじゃん」
「そうだねぇ。紅輔くんはたくさんもらった?」
「んー……普通じゃないかなあ」
「――てことは、もらったんだ?」

 いたずらに笑って尋ねると、紅輔くんは一瞬虚を突かれたようにまばたいて、そして少しの間を置いて「うわああ!」と頭を抱えた。

ちゃんにはめられた!」
「いやいや、嵌めたわけじゃないよ?」
「むー……」

 紅輔くんは、暫しわたしの方をジト目で見ていたけれど、「まーいっか」とあっけらかんと笑った。
 こういうふうに、切り替えが早いところが紅輔くんのいいところだと思う。……黒ノ介くんにはそれがムラっけがあるように見えるみたいで、よくお説教されてるのを見かける。

「紅輔くん」
「ん? なに、ちゃ――わっ」

 振り返った紅輔くんの額に、こつんとチョコレートの箱を当てる。赤のラッピングペーパーに、ダークグレイのリボン。おしゃれさんな紅輔くんのおめがねにかなうかはわからないけれど、結構な自信作だ。

「これ、紅輔くんに」
「えっ、マジで? いいの!?」
「うん。皆に用意してるから。むしろもらってほしいな?」
「やった! ありがとちゃん!」

 きらきら輝く顔でわたしを見つめる紅輔くん。その肩の上、ヒヨコメカが「ワタクシの分は無いんですか、さん」と言い出した。

「機械がチョコ食べれるはず無いだろ!」
「残念ですピヨ」

 紅輔くんの言葉に、ヒヨコメカはまるで人のような仕草で肩? をすぼめた。
 この二人(でいいのだろうか)、やっぱりお似合いというか、いいコンビだよなあ。
 いつも通りの変わらない光景を見つめながら、わたしは思わず呟くのだ。――平和だなあ、と。



孝紫くんにマフィンを
「あれ、孝紫くん。ここで会うの、珍しいね」

 技術開発部での用を済ませ、事務室に戻ろうとしていたところ、見慣れた人影を見かけたので声をかけた。振り返った孝紫くんは、もぐもぐと何か――たぶん、左手に持っている焼き芋なんだろうな――を咀嚼していて、声を出せないようだ。
 こくり、とわたしに返事をするように頷いて、孝紫くんはわたしに向き直った。

「……そうでもないぞ」

 焼き芋を飲み込んだ孝紫くんが、真顔で返事をする。

「そうなの?」
「ああ。この焼き芋がすぐにできるメカにはしょっちゅう世話になっているから、ここにはしばしば来る」
「ああ、なるほど……」

 孝紫くんはふと気付けば何かを食べていることがしょっちゅうある。
 食欲――だけじゃなくて、自分の考えには素直に従うって言った方が良いのかな。その、ともすれば自由奔放ともとれる孝紫くんの挙動は、むしろ清々しさすら感じられる。……まあ、たまに振り回されちゃうんだけど。

「おなかすいてるの?」
「ああ。うまかったぞ」

 最後の一口を食べつくした孝紫くんは、自分の指をぺろりと舐めた。たぶん、焼き芋のかけらが着いてたんだろう。

「じゃあ、ついでにこれももらってくれると嬉しいな」

 そう言って、紙袋から箱を取り出した。紫の包み紙に赤のリボンを飾った、他の人用のより一回りくらい大きな箱である。差し出せば、孝紫くんは首をかしげながらもそれを受け取ってくれた。

「なんだ? これ」
「バレンタインのチョコ。お世話になってるから」

 孝紫くんが箱を引っくり返しながら、なるほど、と頷いた。

「今食べてもいいか?」
「え? 構わないけど……焼き芋食べたばかりじゃ?」
「まだ食べ足りない」

 そうとだけ言って包装を手早く開いた孝紫くんは、箱の中身を覗き込んだ。そして、中のマフィンを一つ取り出して、かぷりと即座に齧りついた。

「美味い」
「それはよかった」
「思ったよりたくさん入ってるな」

 もぐもぐと口を動かしながら孝紫くんが言う。
 孝紫くんは食べるのも早いよなあ、とぼんやりと考えながら返事をした。

「孝紫くん、今日誕生日でしょ? だから、ちょっとサービス」

 15歳おめでとう。と言葉を続ければ、孝紫くんはきょとんと驚いた表情を浮かべて、ぱちぱちと目をまばたいた。孝紫くんの口の端にはチョコレートマフィンの欠片がくっついている。
 孝紫くんの背はわたしより結構大きいけれど、こういうところはやっぱり年下だなあ、と思う。

「よく知ってたな、
「だってみんなの補佐だもん、知ってるよ」
「そうか。……ありがとう」
「はい、どういたしまして」

 孝紫くんはこくりと頷いて、やっぱりもぐもぐとマフィンを食べている。その表情は心なしか幸せそうである。――うん、喜んでもらえたみたいでよかったな、と、わたしは心の中で安堵の溜息を落とすのだった。



葵くんにガトーショコラを
「葵くん」

 背筋を伸ばし廊下を歩く後姿に呼びかければ、葵くんはいつもと変わらない緩慢な仕草で振り返る。他者にリズムを崩されることを是としない葵くんの所作はいつも丁寧だ。
 水引と和紙に結われた細い髪が、さらりと流れる。



 声変わり前のアルトが、わたしの名前を呼ぶ。何用だ、と、声には出さずに尋ねる視線は、わたしをまっすぐに見つめている。
 葵くんはいつも通りだなあ、と考えながら、青の包み紙に黄色のリボンをあしらった箱を差し出す。

「はい、これ」
「……何だ、これは」
「バレンタインのチョコレート。お世話になってるから、皆に用意したの」

 素直に告げれば、葵くんはあからさまに眉間に皺を寄せた。

……貴様もこんな製菓会社の思惑に乗るのか」

 葵くんはこういうこと言いそうだなあ、と考えていた通りの台詞が紡がれたことに、内心苦笑する。
 確かに日本のバレンタインは某大手チョコレートメーカーの作戦通りにチョコレートをプレゼントする日になってるけど、こういうのに便乗してみるのも楽しいと思うけどなあ。

「じゃあ、いらない?」

 葵くんの目の前に差し出していたチョコをわたしの方に寄せ、下から覗き込むようにして尋ねる。
 暫しわたしと見つめあった葵くんは、ふいと視線をそらした。

「……いらないとは、言っていない」

 葵くんのあまのじゃくな物言いに、思わずくすりと笑みがこぼれた。
 葵くんの目尻が微かに赤くなっている。葵くんは肌が白いから、少しの赤らみもすぐにわかっちゃうなあ。

「うん、よかった。どうぞ」

 再びチョコレートの包みを差し出せば、葵くんはすんなりと受け取ってくれる。

「ありがと、葵くん」
「……この場で礼を言うべきは私では無いのか」

 わたしの言葉に、葵くんが首を傾げつつ尋ねてくる。

「んー……でも、葵くんに受け取ってもらえて嬉しいから」

 いつもお世話になってるしね。と続ければ、「それも私が言うべき台詞だろう……」と呆れたような声が返ってきた。

「気にしなくていいよ。わたしがあげたくてあげただけだから」

 そう返せば、葵くんはむっすり黙りこみ、おもむろに唇をひらいた。


「ん?」
「……ありがとう、とだけ。言っておく」

 それだけ言うと、葵くんは身を翻し、足早に立ち去っていった。
 ぱちぱち、と思わず目を瞬いて。――どういたしまして。と、もう聞こえないだろうけれど、呟いた。



琥珀くんにマカロンを
「葵くんも素直じゃないですね」

 不意に背後から聞こえた声に、飛び上がりそうになるほど驚いた。慌てて振り返れば、いつも通り柔和な微笑みを湛えた琥珀くんが、思っていたよりだいぶ近くにいた。
 琥珀くんは葵くんが立ち去って行った方の廊下をちらりと目配せして、いまだ驚いたままのわたしに視線を動かして、苦笑した。

さん。そんなに驚かないで下さい」
「む、無茶だよ……」

 後ろから声をかけられたり後ろから呼び止められたりすることは結構あるけれど、さすがに今の葵くんとのやり取りの一部始終が見られていた(かもしれない)となると、驚かざるをえないわけで。

「琥珀くん、あの、いつから聞いてたの?」

 おそるおそる尋ねると、琥珀くんは顎に指を当てて、そうですねぇ、と視線を泳がせた。

さんが『じゃあ、いらない?』って言った辺りからでしょうか」
「ず、ずいぶん具体的に覚えてるんだね」
「ええ、話の最中では葵くんに怒られてしまうと思いまして、こちらに向かうタイミングを伺っていましたから」

 なるほど、と頷きながらも、わたしは『さすが琥珀くんらしい気配りだ』と感心していた。あの会話が第三者に聞かれていたと知ったら、怒ってチョコを受け取ってくれなかったかもしれない。琥珀くんの気配りに感謝である。

「琥珀くん、ありが――」
「ところでさん。僕には無いんですか?」
「え?」

 お礼を言おうとすると、琥珀くんの言葉に遮られた。
 琥珀くんのアメシスト色の綺麗な瞳は、わたしをまっすぐ見つめている。その瞳の表面には、咎めるような、すがるような、求めるような――いろんな感情がごちゃ混ぜになった、琥珀くんらしからぬ色がたくさん浮かんでいた。

「葵くんにはチョコをあげていたでしょう? 僕は頂けないんですか?」

 琥珀くんの顔が、眼前のすぐ前にある。相変わらずお肌綺麗だな――じゃ、なくて。
 ぱちぱちとまばたいて、琥珀くんの言葉を噛み砕く。
 琥珀くんがこういう言い方をするのは、基本的に、あからさまに言うのはさすがに憚られるけど、何がなんでもしてほしいことの催促だ。今の琥珀くんの言葉を要約して、翠くん風に言えば「チョコちょーだい!」である。

「もちろんあるよ。用意しないはずないでしょう?」

 紙袋から、レモンイエローのラッピングペーパーに、紫のリボンをあしらった包みを取り出して、「ほら」を琥珀くんに示す。

「いつもお世話になってます。これからもよろしくね?」

 と言いながらチョコを差し出せば、琥珀くんはぱちぱちと目をまばたかせて、「……はい、こちらこそ」とはにかんだ。



翠くんにフィナンシェを
 あとは翠くんと黒ノ介くんか。紙袋の中身をチェックしながら、まだ今日は会っていない二人を思い浮かべる。どこにいるかなぁ、と考えながら本部の廊下を歩く。
 向かう先は、ダンジジャーのみんなが話し合ったり雑談したり、後はまあ遊んだりするときにも使う、彼ら専用の会議室――の、ような部屋だ。
 行けば会えるかなあ、と考えながら歩いていると、不意に背中に衝撃を受けた。

「ひぁっ!?」

 あんまりにも予想外なことに、口から妙な悲鳴が上がった。勢いつんのめり転びそうになったのを、背中からにょきっと伸びた二本の腕が伸びて、わたしをぎゅうと支えてくれた。
 ……えっと、この手は。

「翠くん?」
「ずるいぞー!!」

 ……ちゃんと会話しようよ、翠くん。
 心の中で呟いてみたけれど、翠くんはわたしの心の声なんて気にもせずに声をあげる。

「こーすけが、からチョコもらったって! おれものチョコほしいー!」

 わたしにしがみ付いたまま、翠くんはわあわあ立て板に水のように話し続ける。首の真後ろから翠くんの声が聞こえる。

「翠くんの分も用意してるよ」
「ほんとか!?」

 だから放して、と続けようとした言葉に、翠くんの言葉が覆いかぶさった。……たぶん、翠くんには聞こえてない気がする。

「なにくれるんだ?」
「ん? 翠くんはフィナンシェ」
「ふぃ……なんしぇ?」

 なにそれ。と言うような、疑問符だらけの声が聞こえてくる。翠くんは後ろにいるから表情は見えないけれど、どんな表情で言っているのかが容易に想像がついたので、思わずくすくすと笑ってしまった。

「マドレーヌみたいなお菓子。バレンタインだからチョコレート味」
「ヘー! うまそう……」
「今持ってるよ」

 そう言いながら、あんまり自由じゃない右手をひらひらと振って、紙袋の存在をアピールする。と、翠くんの腕の中から解放された。振り返ろうとするより早く、翠くんがわたしの前に回りこんだ。

ー! ちょーだい!!」

 翠くんはきらきらとした目でわたしを見つめて、わたしの方に両手を揃えて差し出した。その手の上に、紙袋から取り出した緑色の包み紙に黄色のリボンをかけた箱を乗せる。

「はい、どーぞ」
、ありがとな!」

 にこにこと笑う翠くんの頭を優しく撫でながら、「どういたしまして」と微笑んだ。



黒ノ介くんに生チョコを
 翠くんに黒ノ介くんの居場所を尋ねてみたら、「くろさん? くろさんなら道場にいたよ」と返ってきたので、道場の方に足を向けた。
 道場にいるってことは、鍛練でもしてるのかなあ。
 黒ノ介くんは大変な努力家である。というか、努力しすぎる人なのだ。言ってしまえば、黒ノ介くんは自分の限界を考えずにやりすぎるきらいがある。他のダンジジャーの隊員だって多かれ少なかれ無茶はするけれど、黒ノ介くんほどの無茶は(基本的に)しない……と、おもう。今のところ、していない。
 道場の入り口までやってきた。――けれど、道場内はしんと静まり返っている。……黒ノ介くん、鍛錬終わらせて移動しちゃったのかな? とも思ったけれど、道場は明かりが点っている上に、黒ノ介くんのスニーカーが揃えてあった。
 休憩中なのかな、その割には静かだけど。考えながら、ローファーを脱いで道場に入る。
 中をうかがえば、道場のど真ん中で大の字になって寝転がる人影が見えた。
 た、倒れてる!?
 慌ててずんずんと近寄り、顔を覗き込めば、ぐっすりと眠り込む黒ノ介くんの寝顔があった。

「ね、寝てる……?」

 恐る恐る手を口元にやると、定期的な呼気が手に当たる。耳を欹てれば、すやすやと、健やかそうな寝息が聞こえた。まごうことなく、眠っているだけのようだ。
 眠る黒ノ介くんは、隊服ではなく道着を着用していた。

「鍛練してたら寝ちゃった――ってところかなあ」

 顔を覗き込みながら潜めた声で呟く。起きちゃうかな、と思ったけれど、黒ノ介くんは身動ぎも何もせずに眠り続けている。
 ――相当疲れていたのだろうな、と思う。
 影の具合なのかもしれないけれど、うっすらと隈ができているように見える。少し切なくなって、目の下をゆったりとなぞる。軽く手を離して、そっと髪を――頭を撫でる。少しごわごわした手触りで、男の子の髪って感じだ。
 わたしは腕時計で時間を確認した。……うん、まだ寝かせてあげられる時間だ。大丈夫。わたしはカーディガンを脱いで、黒ノ介くんにそうっとかける。……道場にブラウス一枚っていうのは少し寒いけれど、まあ起きるまで待つわけではないから大丈夫だろう。

「……今、伝言できる紙、付箋しかないから仕方ない」

 言い訳を呟きながら、付箋に『今日はゆっくり休んでね』とだけ書いて、グレーの包み紙に青のリボンをかけた箱にぺたりと貼る。

「おやすみ、黒ノ介くん」

 箱を黒ノ介くんの傍らに置いて、祈るように囁いた。
St.Valentine's day
2012/02/14