「お前に断る権利があると思ってんのか」
「いや、無いのはわかってるし、セックス自体も異論はないけど」
わかってるじゃないか、と言わんばかりの目で見降ろされて、おもむろにマフラーを掴まれる。あ、これ解かれる。だからちょっと待って、の意図を込めて、わたしの腰に回ったホイットニーの腕の服を引く。まあ無視しようと思えば無視できる、抵抗とも呼べない抵抗だ。
案の定ホイットニーに気にした様子もないので、ホイットニーが次のステップに進む前に言葉をつづける。
「……今日は外やめない? 流石に寒すぎて風邪引いちゃうよ」
しんしんと雪が降っている。この降り方では明日は一面の雪景色になることだろう。現時点でも結構な降雪だ。見上げればホイットニーの黒い革ジャンの肩に既にうっすら雪が積もっていたので、腕を伸ばして彼の肩の雪を払った。ホイットニーはわたしが払うまでそれに気づいていなかったみたいで、微かに目を見張った。わたしのコートにも雪が張り付いているけれど、革製品ではないし気にしなくていいだろう。
わたしのマフラーを掴んで解きかけていたホイットニーは、まじまじとわたしの服を見下ろして眉を顰める。
「……つうかアバズレ、厚着すぎだろ」
「そう? むしろそっちが薄着すぎじゃないかな、寒くないの?」
「寒ィけど。だから暖かくなりたいんだろ?」
「え? あ、そういう感じでしたいの……?」
確かに体動かしたら多少は暖かくなるけれども、服着崩したら風で体冷えちゃうし本末転倒じゃない? と考えていたら、ホイットニーにマフラーが引き抜かれた。ひゅう、と冷たい風が首に吹き込んできて身が凍える。急に風に晒された頸の肌が粟立つ。
「さむいんだって、マフラーとらないで」
それに応えはなく、ホイットニーはわたしのマフラーをひょいと自分の首にかけてしまう。あっ寒いって仰ってましたね使う感じですか。やっぱ外はやめようよ……と思っていると、彼はおもむろにわたしのピーコートのボタンを開ける。襟が緩められて、がばりとコートの前を開けて覗き込まれると、コートの中の体温で暖められた空気が逃げて冷え切った夜の空気がコートの中に入ってくる。
さむいさむいさむい! 抗議しようと口をもう一度開きかけた瞬間、反射的にくしゃみが2回連続で出た。さむい。さむすぎる。
「……マジで寒そうだなお前」
コートが解放される。慌てて両手でコートを整えてぎゅうと頸の袷を重ね合わせてはあ、と息を吹き込んでみる。……焼け石に水すぎる。意味ない、つめたい。
「だから言ってるのに……。外で防寒具脱いだらほんとに死んじゃうよ」
「ひ弱」
「そうだよ、弱いの。だからちょっとくらい優しくしてもいいと思う」
ホイットニーを見上げるが返事はなかった。首に雑に掛けただけのマフラーの端が風に吹かれて揺れる。……わたしからマフラー奪うなら奪うで、せめて役に立ててほしい。普通に寒そうだし。
マフラーの片端を掴む。背伸びしてホイットニーの首に回そうとするが上手く届かない。
「ホイットニー、首下げて」
「あ?」
「マフラーちゃんと巻いてよ」
何でまた、という視線で射られたが、ホイットニーはわたしのやりやすいように腰をかがめて首を下げてくれた。
……なんだかんだ、恋人として扱ってくれるときは優しくしてくれる。学校で会うときや彼の友達の前でのわたしはまぁ随分手酷く扱われるけれど、そういう場所でホイットニーがわたしに求めているロールは恋人ではなくターゲット或いはペットとしてのロールなんだろう。いつだって恋人でいたい、と彼に求められる立場に自分がいないのは、痛いほど知っている。だからわたしはグラデーションのように変わる彼からの扱いを、いつだってそのまま受け入れることしかできない。
ホイットニーの首にマフラーを一周緩く巻いて、両方の長さを整える。首に巻いた部分をゆっくり引いてマフラーの輪を広げる。ちょっと引きすぎちゃったな……。ホイットニーの首裏に手を回す。ホイットニーはされるがままでいてくれる。広げた輪のサイズ感を調整して、捻る。ひねってできた小さな輪にマフラーの端を片方ずつ上から通して、形を整える。
それにしてもこのマフラー、やっぱり柄がかわいいな。良い買い物をした、としみじみ考えながら結び目を均す。緑ベースのかわいいタータンチェック。触り心地もそこそこいい。
「できた」
マフラーから手を離して形を確認した。少しだけ皺が残ってたので左手でそうっと撫でて形を整える。首に巻いた部分を丁寧に均して、隙間風も入らないようにする。うん、きれいにできた。それに、ホイットニーに似合ってる。
満足して頷けば、ホイットニーは屈めていた上半身を起こす。
「満足したか?」
「うん、割と。あったかい?」
「ま、そこそこだな」
そうは言っているけれど、マフラーが解かれないので割と気に入っているんじゃないかな、と思う。気に入らなきゃすぐ解くだろうし。
まだやや薄着に見えるけれど、防寒具を一つ追加しただけでだいぶ季節に合った格好になったと思う。わたしの顔を見下ろしていたホイットニーがくつくつと笑う。
「お前はホント俺のアバズレだよ」
「? 急になに?」
「自覚ねぇのかよ、筋金入りだな」
「……もっとわかりやすく言って」
「そのままでいい、そのほうがアバズレらしい」
絶対褒めてはいないよね、それ。考えながらホイットニーを見上げたが、ホイットニーからその内実が詳らかにされることはなかった。
立ち止まっていたホイットニーがおもむろに歩き出す。アルコールが全身に回ってホイットニーに体重を預けて腰に回った腕に支えられながら歩いていたわたしも自然と歩き出すことになる。気が変わって早々にわたしを送り届けて帰ることにした……の、かな? と考えていたけれど、そうでもないらしい。ドムスストリートに向かいかけていた道をUターンして歩いている。
「え? ホイットニー、どこいくの?」
「お前が外が嫌だって言ったんだろ、アバズレ」
「そうだけど……」
「クソ穴は気分じゃない」
ホイットニーは肩を竦めながらも歩みを止めない。わたしはふらふらの足取りで彼の腕に引かれるまま、脚が示す方向に歩いている。
アルコールで回転速度がだいぶ鈍った脳で今の言葉の意味を咀嚼する。ええと、私が寒がるからって外はやめてくれて……クソ穴、つまり孤児院はホイットニーが気分じゃなくて……てなると。
「もしかして、ホイットニーのお家向かってる?」
「……それ、今か? 相当酔ってるな」
からからとホイットニーが笑う。否定の言葉が返らないということは、正解ということだ。
ホイットニーの家は何回か行ったことがある。あるけれど、いずれも雨の日の放課後の日が沈む前――まだ夕方とも呼べない時間帯だ。こんな、夜が更けた時間帯に行くのは初めてである。ホイットニーの家ではバスルームと彼の寝室くらいしかちゃんとは入ったことはないけれど、そこに向かう途中で目に入った廊下や居間の様子から、ハウスシェアとかではなくふつうに血縁のある家族と一緒に暮らしていそうなおうちだった、と認識してる。……まぁ、ずっと孤児院暮らしのわたしが思う「普通の家族」のイメージって、だいぶ偏ってるとは思うけど。屋根裏を改造するって時に彼の叔父さんにわたしをガールフレンドだと紹介してくれたとき、親ではないとしても気を掛けてくれて尊敬できる血縁関係のある人間だって家族と呼べるんだな、って思ったし。
何にしろこの時間帯は――叔父さんは船乗りで同居してるわけではないと話してたはずだから――ふつうにご両親、が在宅なのでは。……え、ホイットニーの家族と鉢合わせるかもしれないの? このアルコールが全身に回った状態で?
「ま、待って、流石に夜は家族とか帰っ」
「アバズレ」
ホイットニーが、鋭い声で私の言葉を遮った。鋭いのに、すがるような響きのある声だった。
ただ一言わたしを呼んだだけなのにその言葉にどこか切羽詰まったものがあって、わたしは言葉を途中で止めて、じっとホイットニーの方を見つめた。
ホイットニーはわたしの方を見ようとせず、どこか遠くを見ている。――雨の日、噴水を見ている時と、同じ目で。
わたしはいま、彼の心のやわらかいところに触れているのだ、という確信があった。
「親に紹介されたかったか? 生憎だが、あいつらは今日も明日も帰らない」
鋭い声のまま、ホイットニーが吐き捨てる。
今日も明日も、と言うことは、基本的にホイットニーの親は家に不在なのだろう。わたしみたいに親という存在そのものがいないのと、親は生きていても常に不在なのは、きっとどちらもさみしいけれど、おそらく、質感が違うのだろうと思う。――わたしには親兄弟も親戚筋もいないけれど、孤児院にはいつも誰かがいる。だからきっとわたしは、ホイットニーの孤独を、真の意味では理解できない。
ぼうっと見上げたホイットニーの顔は、皮肉気な笑みが浮かんでいる。これ以上言うことはない、これ以上は踏み込むな、という拒絶にも見える。
「いないんだ」
「ああ」
恐る恐る口を開けば、相槌が返ってきた。腰に回っている彼の腕が微かに強張ったのに、気付かないふりをする。――きっと、ホイットニーは弱っている姿を、人に見せたくない人だから。だから今は、彼の引いた「これ以上踏み込むな」のボーダーラインの手前で立ち止まる。素面ならまだしも、酔っぱらっている今は理性の判定が鈍るから、下手に踏み込んでしまっては引き際を誤りかねない。彼を傷つけたいわけではないから、やめておいた方がいい。少なくとも、今は。
わたしはホイットニーが傷ついているなら寄り添っていたいけれど、それは、彼が望まないとできないことだ。――要らない、と突っぱねられるのは、そうされるだろうと予想できていたとしても悲しい。
「……流石に、千鳥足では会いたくないから、たすかるかも」
どうして、とか。さみしくないの、とか。訊きたいことはいっぱいあったけど、それはおくびにも表に出さずに、さらりと感想だけを述べる。実際問題、これも紛れない本音ではある。家族に紹介してもらえるの、本当に恋人として認められてるみたいで嬉しいけど、初対面が酔いどれ千鳥足の女はどう考えても印象が最悪すぎる。
わたしの言葉にホイットニーは一瞬虚を突かれたらしい。遠くを見ていた視線がわたしに向いた。文字通りぽかん、といった顔でわたしをしばし見下ろして、そして、皮肉気な表情がほどけた。拒絶の意図は、もう感じなかった。
うす暗い路地を抜けてネオンで明るいコヌダトゥスストリートに入る。街頭に照らされたホイットニーの顔に、確かに安堵の色を見た。
「お前は本当、俺のアバズレだな」
ホイットニーが笑う。皮肉気で自嘲的な笑みではないので、内心でほっと胸をなでおろした。……ちょっと小ばかにされてる感はあるけど、いつも通りをできているなら、まあ、良いことだと思う。
「それさっきも言ってたけど、絶対褒めてないよね?」
「いいや? ”マジ”で結構褒めてる」
そう言ったホイットニーに頭を抱えられて、ペットにするみたいに頭をわしわしと撫でられた。なぜ誉め言葉になるのかわたしにはいまいちわからないけれど、安堵が混じったように聞こえる声で言われてしまっては、わたしは何も言えなくなってしまう。雪風でもう既に少し髪も乱れていたので、更に髪が乱れたとしても程度の差だろうし、甘んじてその手を受け入れた。少しして、あたまのてっぺんに揶揄うみたいなキスが一つ落とされて、髪を撫ぜる手が離れていく。なんでキス、と視線をあげれば、欲に濡れたホイットニーの瞳がわたしをまっすぐ見下ろしていることに気づいた。
……なるほど、だいぶ本調子らしい。まるで愛撫みたいな視線を躱して、すり、と彼の胸板に頭を寄せる。元気なら何よりです、の気持ちを込めたけれど、届いたかはわからない。
繁華街のネオンを背に一本小路に入る。この道を少し歩けば、すぐにホイットニーの家に辿り着く。道を覚えられる程度には幾度か来たことのある場所だけど、日が落ちてから来たのは初めてなので、見知らぬ道のようにも見える気もした。ホイットニーが今日も明日も帰らないと言っていた通り、家には人がいないらしい。窓はすべて真っ暗で、玄関脇のブラケットライトも暗いままだった。
ホイットニーがポケットから鍵を取り出しているのを横目で見ながら、ピーコートについた雪をはたいて払う。玄関の戸を開けたホイットニーに引きずられるように家に入る。ああ、まだ、雪が落としきれてないのに。
重い音を立てて扉が閉まるのとほぼ同時に、エントランスの灯りが点される。ホイットニーがわたしに回していた腕を解放して、すたすたと廊下の先へ歩いていく。コートのボタンを開けながらホイットニーの背中を視線で追うと、突き当りの壁に添えつけられたセントラルヒーティングのリモコンをさっと操作して、すぐにエントランスの方に戻ってきた。そのままホイットニーは脱いだ革ジャンとマフラーをエントランスのフックボードのハンガーに掛ける。ついでのようにハンガーを渡されたので受け取って、わたしもコートをハンガーに掛けた。まだ家の中は少し肌寒いけれど、セントラルヒーティングは割とすぐに部屋が温まるから、まぁ大丈夫だろう。
ホイットニーは、わたしがフックボードにコートを掛け終わるやいなやわたしの腕を掴んで、玄関の近くにある階段に向かう。別に言ってくれれば普通に着いてくし、なんなら腕じゃなくて手を繋いでくれればいいのに。思いついた軽口は特に音になることもない。腕を引かれるまま、それに従って歩く。
静かな廊下にラジエータの中を気泡が巡るこぽこぽという音がかすかに響く。……自室のならまだしも、廊下のラジエータのメンテはサボっちゃうよね。わかる。細かいことでホイットニーに対して密やかな共感を抱いているなんて露も知らないホイットニーは、わたしの腕を引きながら二階の一番奥――彼の寝室に向かっている。
ホイットニーとのセックスはたいがい偶発的いやむしろ突発的に、その場で始まるから、こうやってこれから彼とセックスをするのだとわかっていて、そのためだけに移動するのって中々ない。いや、ホイットニー側としてははじめからそのつもりでパブに連れ込んだりしてたのかもしれないけど、わたしの意識として。だから、何かだ不思議な心地がする。掴まれてる腕から熱が伝播する。彼の部屋に一歩一歩近づきながら、身体が微かに熱くなる。ホイットニーの寝室の扉をくぐる。心拍が早くなる。
……わたしは、これから、ホイットニーに抱かれるんだ。
身体の熱さに気を取られてぼんやりとしていると、不意に肩を押された。蹈鞴を踏む暇もなくバランスを崩した身体がぼすんとベッドに尻もちをついて――気付けばベッドに背中を預ける形で倒れこんでいた。身体を起こそうとするよりも早く、わたしの隣に腰掛けたホイットニーの両腕がわたしの顔の両端に置かれて自由を奪われる。雑に靴が脱がされて、ベッドの外に抛られた。手馴れてるなぁ、とぼんやり思う。いや、まあ、ホイットニーなら、慣れてるか。わたしの初めてのキスも処女もホイットニーが奪っていったけど(割と頑張って守ってたほうだと思う)、ホイットニーのはじめては全部、わたしの知らない人と、わたしの知らない間に終わっている。彼のはじめてに、わたしはなれない。胸の奥がぞわぞわして、ちょっと痛い。――思いの外、わたしは初めてキスをしたときに彼にからかわれた言葉を気にしていたらしい。今まで気付かなかった。……あんまり、知りたくもなかった、な。
ホイットニーの首裏に両手を回して、それを軸に上半身を起こして顔を寄せる。ちゅっと音を鳴らして、唇ではなくホイットニーの喉仏にキスをした。わたしの知らないところで彼が何をしていても、今ホイットニーといるのはわたしだ。だから、今この瞬間のホイットニーだけは、わたしのもの。浮かんだ思考――ほの暗い嫉妬心を胸の奥に押し込んで、見ないふりをする。こんな感情を持っているなんて、彼にだけは知られたくない。痕がつかない程度の力で喉の骨に甘く噛みついてから唇を離せば、目を丸くしたホイットニーと目が合った。虚を突かれたらしい、だいぶいとけない表情をしている。これからしようとしていることとのギャップのある表情に、思わずくすくすと笑ってしまった。
ホイットニーはわたしの急な笑いに怪訝そうな顔を一瞬だけしたけれど、すぐに欲を剥き出しにした目でわたしの唇に噛みつくようなキスを返してくる。一瞬だけ唇を離して、緩く首を傾げて招き入れるように唇をゆっくり薄く開けば、もっと開けろと命令するみたいに舌がねじ込まれる。わたしの背中にホイットニーの大きな手が回って、逃がさないと言わんばかりに強く腰を抱き寄せられて身体が起こされる。気付けば彼の片膝を跨ぐような姿勢で向かい合いながらキスをしていた。
「ふ、……ン」
上顎を舌で擽られて、歯茎をゆるゆると撫でられる。暴くみたいに侵入したくせに、口の中を愛撫する舌の動きは甘やかすみたいにやさしい。彼の後ろ髪に指を通して地肌をやさしく愛撫する。ホイットニーが微かに息を飲んだのを、舌の動きで覚る。ね、今の、きもちよかった? 尋ねるように、一瞬だけ動きを止めたホイットニーの舌の裏にわたしの舌を這わす。まぶたをあければ、ホイットニーの欲にぎらついた視線に射られた。――その目が「答え」だと、わたしは知っている。
這わせた舌が絡めとられ、ちゅぱ、と卑猥な音を立てて唇が解放される。わたしとホイットニーの唇の間に粘度の高い唾液が伝って、ぷちりと糸が切れる。彼の首に回した腕を解放して上がった息を整えていたら、腰に回された手に尾骨の当たりを撫でられて思わず肩が跳ねる。わたしの敏感な反応にホイットニーが浅く笑う。
「流石アバズレ。服越しでもこれか?」
「ホイットニーだって、さっき髪撫でられて感じてたくせに」
「……黙れ」
「いっ……!」
ホイットニーにVネックから覗く鎖骨に歯を立てて噛みつかれて、反射的に呻く。ホイットニーの鋭い犬歯がやわい皮膚に沈む。切れてはいない……と思うけど、普通に痛い。恨みがましい視線でホイットニーを見つめたが、彼は肩を竦めて気にした様子もない。
「お前もさっき噛んだろ」
「こんなに歯は立ててない」
「あいあい、悪かった」
絶対思ってないでしょその口調。と返そうとしたのに、ホイットニーが鎖骨につけた歯形にゆるく舌を這わすから、鼻に掛かった甘い嬌声を上げることしかできなかった。ぎゅう、とホイットニーのシャツにしがみつく。舌で鎖骨のラインを辿られてじわじわと快感が募って、体の芯が熱くなる。
ゆるゆる鎖骨をなぞられて、鎖骨の下――Vネックで隠れるか隠れないかのぎりぎりの位置を強く吸われる。唇が離れれば、象牙色の肌に赤い痕が濃く残っているのが見える。
「……痕つけるの、珍しいね」
「気分」
「ふぅん」
気分かあ。考えながら、キスマークを撫でる。なんか、ちょっと、どきどきする。
ホイットニーはわたしの身体に卑猥な落書きはよくするけど、痕を残すのは本当に珍しい……というか、初めてされた気がする。彼がする身体への落書きは、本質的には自分の持ち物に名前を書くのとそう変わらない行為だ。ホイットニーのいない別の場所でわたしを見る人に対する、所有者の主張。だから、別に名前も何も刻み込まれないキスマークの理由がいまいち見えてこない。独占欲とかだったりするのかな、とも思うけど、オープンリレーションシップを地でいくふるまいをするから、違う気もする。ホイットニーがよくわからない。わたしもつけたらわかるかな。どこにつけよう。
ホイットニーのシャツのボタンを上から順繰りに開けていって、胸板に手を当てる。筋肉が均一についた、張りのあるからだ。ぺたぺたと無遠慮に触っているのが咎められないのをいいことに、唇を胸板に寄せ、痕は付けずに軽い音を立ててキスをしていく。首筋にちゅっとひとつ。咽喉仏を唇で掠めて、鎖骨にもひとつ、ふたつ。ボタンを開けたシャツの身頃をそうっとはだけさせて、露わになった右の肩先にもひとつ。逆の身頃も肩を抜いてシャツを落として、左の肩の同じところにもひとつ。胸板――心臓の近くに、一つ。唇にホイットニーの心臓の鼓動をかすかに感じる。
……うん、ここがいいな。ホイットニーの心のありかはわたしにはわからないけど、ちょっとの間だけ、心臓の近くにわたしの痕が残ればいい。
考えながら、おなじ場所に尖らせた唇でもう一度キスをして――鋭く吸い上げる。……これくらい、で、いいのかな。おそるおそる唇を離せば、不格好な形のキスマークが彼の肌に浮かび上がっていた。ホイットニーがつけたのと比べるとちょっと色が淡いけれど、うん、まあ、はじめての割には上出来……なのでは。
指先でホイットニーの胸板につけたキスマークを撫でる。これ、どれくらい残るかな? 考えていると、頭上から熱のこもった濡れた溜息が落ちてきた。視線だけでホイットニーの顔を見上げると、口の端を吊り上げた愉悦の表情の彼と視線が絡んだ。
服の裾からホイットニーの手が侵入してくる。素肌の背を尾骨から首筋までゆるりと撫でられ、身体がぐずぐずになって、思考もとろとろに溶けていく。
「へたくそ」
「んっ、……痕つけるの、はじめてだもん」
「へぇ?」
相槌を打つホイットニーの声に喜悦が滲んでいる。さっきのキスは性感を高めることそのものは主目的ではなくて痕を付ける場所の吟味のためのキスだったし、キスマークも愛撫の意味合いは薄かったのだけれど、割とホイットニーのそういう琴線に触れていたのだろう。
背中を愛撫していたホイットニーの右手に、器用に下着のホックを外される。ホックを外したのとは逆の手がVネックのセーター越しに下着をずらして、脇の下から胸の形を辿られる。ホイットニーの大きな手がやわやわと感触を楽しむように胸を包み込んで、揉みしだかれる。ときどき、固くとがった先端を指の先で悪戯に引っ掛かれて熱い息が漏れた。そうしている間に首筋にまたキスが落とされて、ときどき甘く鎖骨に歯を立てられるのだからもう堪らない。愛撫のさなか、ホイットニーの大きな手がVネックを首元までたくし上げる。促されるまま腕を抜けばベッドの下にセーターとブラが抛られた。露わになった乳房が直接ホイットニーの手にゆるゆると刺激されて、胸の頂に口づけられる。
「っ、ん……ぅ」
上唇と下唇で食むように啄まれ、尖らせた舌で固くなった乳首を押しつぶされる。乳輪をなぞるみたいに舐られ、悪戯に甘噛みされると身体が熱く疼いてしまう。ホイットニーに唾液で濡れた赤くぷくりと腫れた乳首を強く吸い上げられて、身体が跳ねて高い声が上がった。視界がちかちかして、頭がふわふわする。わたしの反応に満足したらしいホイットニーの唇が、胸から離れていく。
上半身を支えていられなくて、ホイットニーの肩に額を押し付けて彼の身体に凭れる。おなかの奥が、じくじくと熱い。息が上がる、呼吸が荒いままおさまらない。ホイットニーの身体に身体を預けながら呼吸を整えていると、ホイットニーの手がわたしの太腿をゆるゆる撫でる。身体が熱い。もうちょっと、息整うまで待ってほしい。
「ぁ……、ホイットニー、待って」
「家まで充分待った」
今日に限っては、それを言われると弱い。路地ではなく家まで待たせたのは事実だし、ホイットニーがわたしのお願いを聞いてくれるのはだいぶレアだ。
わたしが何も言えなくなったのを良いことに、大きな右手が太腿を撫でながらスカートの中に侵入してくる。足の付け根――下着と肌の境目を、彼の熱い指が辿る。下着のレースを辿るみたいに腰を撫で上げられる。尻臀に指を食い込ませるみたいに揉みしだかれて、ガーターベルトの吊り紐を、かり、と揶揄うみたいに引っかかれた後、下着越しに秘所をなぞられて、とうとう耐え切れずに腰が跳ねた。ホイットニーの浅く笑う声が耳に吹き込まれて、下着越しに入口を浅く人差指が出入りする。ぐち、下着越しでもわかるほど濡れた音が耳に響いて、羞恥で顔が熱くなる。直に触られたわけでないのに、はくはくと入口がわなないているのを自分でも感じる。陰核をいたずらに弾かれると鋭い快感が走って声を堪えられない。頭がふわふわして、理性が白く塗りつぶされていく。
一方的に触れられるだけなのも癪なので、手の甲をすり、とホイットニーの股間に滑らせる。……勃ってる。興奮してくれてることに内心で安堵しながら、ジーンズ越しに手の甲ですりすりと陰嚢を数回撫で上げた後に、指先で竿の形をたどる。……ジーンズって布厚いし、あんま気持ちくならないかも、と思ったけれど、ホイットニーが短く息を飲んだのでたぶん大丈夫だ。
たのしそうな顔でわたしを見下ろすホイットニーが、下着をずらして指を中に挿入してくる。潤びぬかるんだわたしの秘所はホイットニーの長い指を三本難なく飲み込んで、無意識のうちに「もっと」とねだるみたいにきゅうきゅう指を締め付ける。揶揄うみたいに緩慢に指で中を掻きまわされて、ぐち、ぬち、と粘度の高い音がする。中のゆるい刺激と同時に不規則にホイットニーの親指が陰核を押しつぶしてくるたび、腰が大きく跳ねる。中のいいところを指の腹でじわじわと押し広げるように刺激されて、あ、とか、う、とか意味のない熱い声が零れた。
ホイットニーが直接触ってくるならこっちも。ベルトをくつろげてジーンズから彼の硬く勃起した、おおきな陰茎を露出させる。――これ、早く、欲しい。きゅう、と下腹が熱く疼くのを無視して、髪が邪魔にならないように耳に掛けながら少し顔を下げる。はあはあと熱い息をこぼし続ける口から舌を細く伸ばし、たらぁ、と亀頭に唾液を垂らしながら、下からホイットニーの顔を見上げる。興奮しきった表情のホイットニーと視線が合ったので、見せつけるように唇を嘗めてみせる。けれど唇での刺激はしないで、垂らした唾液を指でゆっくり塗りつけるようにやさしく愛撫する。鈴口の先っぽだけをくりくり刺激すれば先走りが垂れてきて、ホイットニーが短く息を詰めてわたしの中を愛撫していた指の動きが一瞬止まる。そのすきを見逃さずに、垂れた先走りと唾液が混じってべとべとの裏筋の根元から先端までを濡れた指の腹でつぅ……と撫で上げれば、ホイットニーの背筋が跳ねるみたいにピンと伸びた。
「今の、すき?」
「……っ、割と」
首をかしげて問えば、呼気の荒い声で返ってきた。……わ、すなお。視線を合わせたままもう一度ゆるゆる裏筋に指を這わせながら手を上下すれば、ホイットニーの目じりが紅潮して彼の肩がぴくりと震えるのがよく見える。
……ちょっと、かわいい、な。
わたしの思考を読んだのか何なのか、ホイットニーが片眉をあげる。そして、溜息をつきながら「……その顔止めろ。手もだ」と呻いた。え、どんな顔してるのわたし。思いながらもホイットニーに言われた通り手を陰茎から離す。よろしい、と言うように肯いたホイットニーが、わたしの中から指を引き抜いた。あ、さみしい、と理性の蕩けた脳が啼く。それがうっかり口から出ないように呼吸を整えることに集中していると、ホイットニーが右手の指をわたしのスカートの左脇に指を引っ掻ける。ぷち、とホックを器用に外してファスナーが下ろされる。スカートが重力に従って落ちるけれど、脚を閉じているわけではないから太ももの中途半端な位置に引っかかった。
「足抜け」
「ん、」
スカートを掴んだホイットニーに太腿をくすぐられて、足を抜くよう促される。のろのろホイットニーの肩に手を置いて、膝立ちのままゆっくり両足を抜く。いつもみたいに無理矢理引きちぎるみたいに剥がされないのはなんだかちょっと奇妙さすらあった。まあ虐められてる最中ではないのだから、当然なんだけど。
そのまま、ショーツの脇にも彼の指が差し込まれて、焦らすみたいにゆっくり腰骨を撫でられる。腰から腿まで、ホイットニーの指にゆったりと撫でられながら、下着が膝まで脱がされる。ホイットニーに秘所を隠す布を暴かれるのは逃げ出したくなるくらい恥ずかしい。恥ずかしいのに、脳髄が痺れるみたいに気持ちいい。見られながら、自ら足を抜く。心臓が暴れている。性感帯らしい場所なんて触れられてもいないのに、甘い声が出そうだ。
ホイットニーがわたしから両手を離して、ベッドの脇にショーツとスカートを抛りなげる。ガーターベルトとストッキングは脱がさなくても良いらしい。……ガーターストッキングが残っているから厳密に言うと全裸ではないけれど、全裸よりも逆に気恥ずかしさがあるのはどうしてだろう。ふしぎ。
ホイットニーの肩から手を離して、膝で一歩だけベッドの真ん中に寄ってぺたんと座り込む。ホイットニーはわたしが中途半端に寛げたジーンズのポケットを探った後、ソックスごと蹴るみたいにベッドの下に脱ぎ捨てた。ポケットからコンドームを出していたらしい、見慣れた赤い正方形のパッケージを破ろうとしている。
「ね、わたしがつけてもいい?」
「……」
わたしがお伺いを立てると、ホイットニーが無言でわたしにコンドームを差し出した。
彼の方にすり寄って受け取って、赤いパッケージを破いて中身を破かないように取り出す。中のランダムカラーは薄紫だ。コンドームの精液溜まりを唇だけで挟んで咥えて、ホイットニーの腿と十字に交差するように横から身を乗り出す。硬く上向きに勃起した彼の陰茎の根元に右手を添え、先走りをこぼす先端にコンドーム越しに優しくキスをする。唇で亀頭にコンドームを被せて、歯を立てないように気を付けながら、唇だけに緩く力を込めて、陰茎を咥えこむようにゆっくりコンドームを被せていく。咽喉の奥までホイットニーのものを口内に迎え入れ、舌を使って届く限りまで下ろす。根元に添えた指で根元までコンドームを下げてからゆっくりと口から陰茎を抜いて、身体を起こす。
口の端から溢れた唾液を指で拭う。
「できた」
「……」
「ホイットニー?」
返事が無い。なんでだろ。彼の顔を覗き込もうとして――鋭い舌打ちが聞こえるのと同時に、身体をひっくり返されてベッドに仰向けに倒された。次いで、上半身をぴったりとくっつけるようにのしかかられる。肘をついてくれているから、体重はほとんど掛かっていない。
素肌にホイットニーの素肌が触れて、いつもと違う感触にどきどきする。ホイットニーと、こうやって素肌と素肌で触れ合うことなんて、ほぼないから。
「お前は本当、俺の最高のアバズレだ」
「……っ、」
熱い息に耳をくすぐられて、頸が竦んで背中がぞくぞくする。おへそのあたりに硬いものの先端が擦りつけられる。その熱に浮かされるみたいにお腹の奥がきゅんと疼いて、無意識のうちにきゅうきゅうと中を締め付けてしまう。締め付けても中に何もないのが、さみしい。さみしくて瞳に涙が張って、視界がうすくぼやけた。
膝を立てて緩く足をひらいて、彼を迎え入れる姿勢を取る。両腕はホイットニーの首の裏に回して、彼をぎゅうと抱き寄せる。
「ホイットニー、」
彼の頬に頬を擦りつけ、耳朶にキスをして名前を呼ぶ。彼の名前を呼んだ声が思った以上に濡れていて自分でもちょっと驚いていると、ホイットニーがわたしの目じりにキスをする。うすく張っていた涙が珠になっていたのか、塩辛いな、と小声で呟かれた。
ホイットニーがわたしの脚の間に身体をぐっと押し込んできて、膣の入口に陰茎の竿が擦りつけられる。先端が時々陰核を掠めて刺激されて甘い声が出る。
「ぁ、じらさないで……おねがい、ホイットニー、欲しい」
首を振ってねだる。
こんな肌も触れ合うくらいに近くにいて、優しく触れられてるのに、さみしい。
わたしの言葉に浅く笑ったホイットニーが、わたしの左膝の裏に手を入れて脚をぐいっと持ち上げる。持ち上げられた脚に引っ張られれて腰の位置が上がって、ぷちゅ、と濡れた音を立てて先端が入口に宛がわれた。上半身をぴったりとくっつけたまま腰を押し込まれ、ホイットニーの大きな陰茎がわたしの膣を押し広げて侵入してくる。
「ん、っぁ……あ……!」
ホイットニーのものは凶悪な程に大きいけれど、待ちわびて完全に潤びれたわたしの中はそれを難なく飲み込んでいく。ゆっくり奥まで腰を押し入れたホイットニーが、長く息を吐く。おなかの中ぜんぶホイットニーのもので満たされたのを感じる。――お腹、あつい。
欲しかったものが与えられた歓喜と快感で全身がわななくのを、深呼吸を繰り返して抑えようと試みる。わたしが荒い息を整えているのを見下ろしていたホイットニーの唇が目じりに触れた。
「……また、涙出てた?」
「いや? 揶揄ってるだけだな」
「え、ひどい」
「酷かねえだろ、アバズレ」
ちゅ、といたずらに音をたてて、次は額に口づけられる。くすぐったくて思わず笑みがこぼれた。わたしの反応を見下ろしていたホイットニーは緩慢にゆっくりと腰を揺すり始める。奥まで入れていたものを中途半端に抜いて、膣口の浅いところを揶揄うみたいな緩慢な腰使いで刺激される。
「、ん……」
昇り詰めるほどではない微温湯に浸かるような快感がじわじわと広がる。いつもはもっと、はじめから激しくしてくるのに、なんでだろう。
伺うようにホイットニーを見つめると、何かを企んでいそうな気取った笑みが返された。視線を合わせたまま、ホイットニーの動きが変わる。中のお腹側のところを雁首で引っかけるみたいに動かされると鋭い快感が走った。そこきもちいい、もっと。――と思った瞬間、ホイットニーの腰使いが緩いストロークに戻ってしまう。ちゅぷ、と濡れた音がやっぱり揶揄うみたいに響く。わたしの内心は思いっきり顔……と言うより、全身に出ていたのだろう、ホイットニーの笑みが深くなる。愉悦が滲んだ笑みで、ゆるゆる浅いところだけを責められる。
気持ちいいのにもどかしい。……気持ちいいから、もどかしい? 思考がふわふわとして脳がうまく動かない。『もっと欲しい』というむき出しの欲望が、脳を介さずに身体に直接指令を送って、無意識のうちに足に力を籠めて腰を浮かせていた。腰が浮けば中でホイットニーのものが擦れる角度が変わって、息がつまる。
「……っ、ホイットニーは本当、……ん、っ、意地が悪い……!」
「まさか、俺ほど素直な人間もそういないだろ?」
わたしの減らず口に喜色の滲んだ声で答えが返る。その言葉に返事をするほどの余裕はなく、快感を求めてホイットニーの腰の動きに合わせてわたしも動かせる範囲で浮かせた腰を振る。この姿勢は残念ながら可動域があまり広くないので、自ら動いても十全には動けない。もどかしさが一層募って、気付けば両足をホイットニーの腰に絡めていた。膝を曲げて身体ごと寄せるように腰を振る。ホイットニーのものを奥に迎え入れてきゅっと中を締め付ければ、快感が背骨を駆け上がった。
「ぅあっ……ぁ、これ、すき……ん、」
「ッ、は……欲しがりだな、アバズレ」
ホイットニーが揶揄うよう口調で言って、更に奥に腰を沈める。わたしが自ら快感を求めて足を絡めたのが気に入ったのかなんなのか、声にはずいぶん喜色が滲んでいた。ホイットニーの愉悦と欲望に蕩けた瞳と目が合って――ああ違うなこれ、誘いこまれてたんだ、と理解する。わたしが焦れて耐え切れなくなって、自分から腰を振るのを待ってたんだ。ホイットニーは、わたしが欲に流されて卑猥なふるまいをするところを見るのを、なぜだかとってもお気に召している。
陰茎が膣口近くまで引き抜かれて、入口から一番奥の子宮口まで擦り上げるように突かれる。はく、と口がわなないて一瞬呼吸を忘れた。ホイットニーの腰の動きに合わせて、わたしも腰を揺らす。
「ッ、……すき、ホイットニー、ん……っ、すき、」
ぴったりと触れあったホイットニーの上半身の肌が汗でしっとり濡れて、熱い。すぐ近くで感じる彼の熱い息に愛撫されるようで背筋が震えた。今まで、こんな全身でホイットニーを感じたことはなかった。――うれしい。多幸感で頭が焼き切れそうだ。
抉るように亀頭を奥まで捩じ込まれるのと雁首を引っ掛けながら引き抜かれるのを一定の早いリズムでくりかえされて、お腹の中からとろとろ溶けてしまいそうなほど気持ちいい。
快感で浮かんだ生理的な涙で、また視界がうすくぼやける。やだ、ホイットニーの顔が見えなくなっちゃう。ぎゅ、とホイットニーに抱き縋る腕の力を微かに強くする。口から喘ぎ声が零れる合間にホイットニーの名前を呼ベば、ホイットニーにわたしの唇にかみつくみたいなキスをされる。舌を吸われ絡めながら――ぼやけた視界でもホイットニーの瞳の蒼が見えることに、安堵する。
キスするために姿勢を僅かに前に傾いだホイットニーが、更にぐ、と腰を押し付けてきてさっきまでよりも一等深いところに入り込んでくる。声が零れたと思うけれど、吐息ごとホイットニーの唇に全て飲み込まれて音にもならない。ホイットニーの腰使いは抜き差しを繰り返すピストン運動から、小刻みに動かして奥に圧を掛けるように突くものに変わる。呼吸が苦しいはずなのに、そんなの気にならないくらい気持ちいい。ごりごりと音がするような錯覚がするほど、奥を狙い澄ましたように強く刺激される。
膣から子宮を揺さぶられて、頭がぐらぐら沸騰する。
きもちいい。
きもちいい。
きもちいい。
身体が跳ねる。
視界がちかちかする――スパーク。
絶頂の声はホイットニーの舌と口に全てのみ込まれて、何一つ音にならなかった。声に出して逃がせられなかった快感が体内で反響して収まらない。何かにしがみつきたくて、ホイットニーの首に回した腕と腰に絡めた脚に力を込めてホイットニーの熱いからだにすがりつく。
膣がわたしの意志とは関係なく勝手に収縮して、ねだるみたいにホイットニーの陰茎をぎゅうぎゅう締め付ける。ホイットニーの腰の動きが早くなって、締め付けて収縮している膣を押し広げて子宮口をこつこつノックされる。性急な動きに、ホイットニーも絶頂が近いんだ、と薄呆けた思考で考える。奥をノックされるたびに粘度の高い水音が響く。絶頂を迎えたばかりでまだ余韻が続いている身体には、もはや暴力的とも呼べる快感が子宮から全身に広がっていく。
最後の最後、ホイットニーの陰茎の先端が子宮口にぐりっと押し込まれて、再び強い快感が腰に流し込まれる。締め付けた膣のなか彼の陰茎が震えて、ホイットニーも絶頂にいたったのだとコンドーム越しに感じ取った。ぐ、と腰と腰とを押し付けあったままの姿勢で、快感の余韻を互いにやり過ごす。
ぢゅぱ、と音を立てて唇が解放される。わたしはのろのろと、ホイットニーの腰に回した脚を外してベッドに投げ出した。股関節がちょっと変な感じ、同じ姿勢してたからかな。腕も同様にして、手をベッドに落とす。からだ、だるい。酸欠と絶頂の余韻で白んだ思考が、新鮮な空気を取り込むことで少し明瞭になる。いや、ごめん、うそ言ったこれ。まだ頭全然ふわふわしてるし、からだの感覚もまだなんかへんだ。
ホイットニーがベッドについていた腕の力を抜いてわたしの上に折り重なるように倒れ込む。ホイットニーの呼吸もだいぶ荒れているけれど、数回深呼吸をしただけですぐに落ち着いたように見える。……すごいな、わたしまだいろんなところふわふわしてるのに。そう思いながらホイットニーをぼんやりと見つめる。彼は上身を起こし、わたしから陰茎をずるりと引き抜いた。
「んッ、……ふ、……!」
特段性感帯を刺激するような動きでは全くなかったのに、からだの感覚がまだおかしいのか、軽い絶頂の一、二歩手前みたいな快感が走って頭が混乱する。目を白黒させるわたしを、ものを引き抜いたばかりでわたしの脚の間にいるホイットニーもさすがに驚いた顔で見つめてくる。やめて。そんな眼で見ないで。恥ずかしくて視線を逸らして、左手で両眼を覆う。ホイットニーがくつくつと笑いながらベッドの上で動いたのを、スプリングの軋む音だけで覚る。
ぼんやりと長い深呼吸を繰り返す。少し動かしたらリフレッシュしたりできないかな、と自分ものろのろと身体を起こす。けど、まだ頭がふわふわしている。体を起こすだけで限界だった。横座りして、ベッドに手をついて身体を支える。いま、何時だろ。
「アバズレ」
「、ぁ……なに?」
ホイットニーの方を見れば、にやりと笑ったホイットニーが陰茎から外したコンドームを摘まみあげて、わたしに振って見せてきた。溜まった精液がたぷん、と揺れるのが、薄紫越しに見える。
「舌を出せ」
言われた通り舌を出す。「いい子だ」と笑ったホイットニーが、コンドームをわたしの舌の上で逆さにして精液を垂らしてくる。顎の下やベッドに零れないようてのひらを差し出しながら垂らされた精液を舌で受け止めた。舌の先端より、奥のほうが苦みが強い気がするな、ととりとめのないことを考えながら、音を立てて舌に絡めたザーメンをすべて飲み干す。れ、と舌を出して飲み干したことをホイットニーに見せれば、彼は満足そうに笑ってコンドームをごみ箱に捨てながらベッドから立ち上がった。どこ行くんだろ、とぼんやり彼を視線で追う。
「水とってくる」
「ぅん……行ってらっしゃい」
キッチンに行くらしい。脱ぎ捨てたジーンズを履きながら寝室を出ていく背中を見送った。わたしはまだ服着る余裕も歩く余力もない。……けど、身体ちょっと拭きたいかも。部屋を見渡して、ベッドサイドテーブルの上にティッシュの箱があるのを見つけたので、ベッドの上を摺って手が届く範囲にまで移動する。箱からティッシュを二枚ほど引き抜いて――ベッドサイドテーブルのランプの脇に、ぬいぐるみが鎮座しているのに気付く。さっきまでいた位置からだと、ちょうどランプが邪魔して見えなかった。手を先にティッシュで拭ってから、ぬいぐるみを指で撫でる。ふわふわだ、かわいい。……これ、前お会いした叔父さんが言ってたやつかな。この子は抱えて眠るにはちょっと小さいから、違う子もいるのかな。
とりとめのないことを考えながら、ティッシュで残った体液を拭い去って、丸めてごみ箱に捨てる。それだけのことなのに、身体が重い。もうしばらく休みたい。とはいえここ他人の家だから、楽になるまで裸でいるのも、ちょっとよろしくない気がする。でも幸いにもこの部屋の持ち主はホイットニーなので、まあ、多少は目をつぶってくれると思う。たぶん。枕を一つ拝借し、抱え込んで顎をうずめて姿勢を楽にする。
ホイットニーが頭を掻きながらベッドルームに戻ってきたので、おかえり、と声を掛けると、彼は微かに目を見張った。おどろいた顔をしている、と思う。……わたし、なんか変かな。
「アバズレ」
内心で首を傾げていると、ホイットニーがわたしを呼んでペットボトルを一本こちらに抛ってきた。それをキャッチしようと試みたものの受け取り損ねて、腿に不時着する。痛、と反射で声を漏らせば、「鈍くさ」と嘲笑われた。……わたしがもっと俊敏だったら、学校でもいじめられるより先に逃げてるよ。ペットボトルのキャップを開けて、数口飲む。自覚はなかったけれど、大分水分不足だったらしい。からだに染みわたる感じがする。
「お前、動けるか?」
「まだ、ちょっと、無理かも」
「だろうな」
ホイットニーが大股でベッドまで戻ってきて、勢いよくベッドに腰を落とした。スプリングが軋んでベッドが揺れる。枕を抱えるわたしをちらりと見て、ホイットニーは布団の間からブランケットを引き抜いてわたしの肩にそれを掛ける。そのまま、ブランケットごと腰を引き寄せられた。
「じゃあ泊まってけ」
「え?」
「深夜に路地歩いたら何引っ掛けるかわからないからな、アバズレは」
なるほど。ここからドムスストリートまでの距離すら危ういと思う程度には、夜が更けそうらしい。
「迷惑……じゃない?」
「迷惑なやつ家に連れ込むかよ」
「……じゃあ。お言葉に甘えて」
そう返して、ホイットニーの肩に頭を預けて彼に凭れた。ホイットニーはそれでいい、というように鷹揚に頷くと、わたしの腰に回したのとは逆の手一本だけで器用に煙草を咥えて火をつける。――深く吸い込んで、煙を吐き出す。彼のルーティーン。彼がなぜ煙草を吸い始めたのか、どうして今も吸い続けているのか、わたしは何も知らない。何も知らないけれど、彼のルーティーンに同席が許されているのは、うれしい。
嗅ぎなれてしまった煙草と香水の混ざった重甘い匂い。
紫煙を吐き出す彼の微かな息の音。
視線を上げれば見える綺麗な顎のラインの横顔。
わたしの腰を抱く彼の手の、熱さ。
――そうやって感じるホイットニーのすべてがいとおしくてしかたなかった。この時間ができるだけ続けばいいのにな、と思いながら目を細める。
ホイットニーの腕から伝わる体温と、彼に掛けられたブランケットが、わたしの体温の低い身体をじんわりとあたためる。体力をほとんど使いきった後に身体をあたためると、眠気が徐々に湧いてくる。瞼が重くなっていく。好きな人のとなりで、意識が、微睡に落ちかけて――
「アバズレ? 寝てるのか?」
その声に、意識が急浮上する。……今、一瞬、おちてたかも。
「寝、てない。……まだ」
「ほぼ寝てるだろその声は」
ホイットニーは喉の奥で低く笑う。彼は短くなった煙草を携帯灰皿に押し付けて片付けると、わたしを突き飛ばしてベッドから立ち上がった。もうそういう気分ではなくなったんだろうな、と考えながら押し退けられた身体を起こす。ホイットニーからの甘い接触は彼の気まぐれで始まって同じように気まぐれで終わるので、こうやって前触れなく終わることにはもう完全に慣れた。ブランケットのおかげで痛みが無かったぶん、いつもより優しいなとすら思う。
ワードローブから寝巻らしいスエットを出して着替えたホイットニーがわたしを振り返る。
「お前寝るとき全裸?」
「ううん、パジャマ着てる」
「へえ、アバズレのくせにな。なら……これでいいか」
なにが? と問う前に、畳んだ服を一枚渡された。反射で受け取ったけどなにこれ。服を広げれば黒の半袖のTシャツだった。ホイットニーが着るにしてもビッグシルエットになりそうなサイズ感だ。おもわず首をかしげる。さっき寝てないと言い張ったけど、やっぱりだいぶ眠い。頭があんまり働いていない。
わたしが首を傾げてるのを見てホイットニーがため息を吐く。
「寝巻代わりにそれ着てろ。お前のサイズは流石にない」
「あ、ありがとう」
掛けられたブランケットを肩から落として、言われた通りに渡された服を着る。柔らかい素材でできていて、寝心地がよさそう。腿の半ばより少し長いくらいの丈で、おおむねワンピースパジャマと呼んで問題なさそうだった。そういえば脱ぐタイミングを逃し続けていたストッキングも脱いでしまおう、とストッキングを留めているガーターの留め具を外して脱ぐ。ガーターベルトのホックも外してTシャツの裾から引き抜いて、ストッキングとまとめて服が抛られたのと同じ場所に落とした。
脱ぐためにめくったTシャツの裾を左手でなぞって整える。
「壁寄れ。俺のスペースを開けろ」
「ぁ、ごめん」
座っている位置を壁側に滑ってずれる。ベッドで寝ていいんだ。やさしい。さっき拝借していた枕を置いて高さを調整する。枕のベストな高さを検証するわたしを尻目に、ホイットニーはベッドにすぐに横たわってデュベをかぶっている。さっきまでわたしがかぶっていたブランケットはデュベの上に掛けられていた。
「はやくしろ」
「あ、うん」
デュベを上げて招かれたので、その中に足を滑り込ませて身体をベッドに横たえる。いい高さに整った枕に頭を乗せる。間髪入れずにホイットニーがベッドサイドのリモコンを操作して、部屋の灯りが落とされた。カーテンの隙間から街頭の光が微かに差して、ホイットニーの肌を青白く照らしている。
「ぬいぐるみは? 良いの?」
「あ?」
「かわいいの抱いて寝てるって、叔父さんが言ってた……よね?」
わたしが尋ねると、ホイットニーが苦虫をかみつぶしたみたいな顔をする。
「うるさい。黙ってろ」
ホイットニーの腕がわたしに伸びてきて、ぐっと彼の方に引き寄せられた。いい高さに調整した枕から頭が離れて、ホイットニーの腕の上に乗せられる。腕枕だ……と思ったけれど、逆の腕はわたしの背に回ってわたしの身体をホールドしたままだ。厳密にいえば、腕枕でも抱きしめられているでもなく、抱きかかえられている、と言うのがより正しいのでは? という姿勢。
……あ、これ、わたしがテディの代わりに抱えられて寝るやつ? だったりする?
「あの、ホイットニー?」
「黙ってろ、と言ったはずだが? まだ何か?」
ぴしゃりと言われる。これ深堀りしたら普通に罰としていろいろされるやつだ。……うう、ちょっと叔父さんが言ってたこと聞いただけなのに。
「何でもない。……おやすみなさい、ホイットニー。良い夢を」
仕方がないので、わたしを抱きしめる彼の腕を優しく撫でて、就寝前の挨拶を告げるだけに留めて目を閉じる。ホイットニーに抱きしめられた状態で目を閉じると、彼の一定のリズムで刻まれる鼓動の音が左耳に伝わって、それがまるで子守唄みたいだな、と思う。子守唄を誰かに歌ってもらった思い出なんて、わたしにはないけれど。きっとこういうものなんじゃないかなあ。
彼のあたたかい温度に包まれながら、わたしの意識はすぐにまどろんで――あっけなく、眠りの世界に落ちた。
「――お前こそ良い夢見ろよ、アバズレ」
早々に眠りに落ちたわたしは、ホイットニーがわたしの前髪を優しく払って額に口づけを落として挨拶を返してくれていたことを、知る由もない。
* * *
――眠りから意識が覚醒する。今日はなんだかいつもより布団があたたかい。目を開けたとき、だれかの腕に身体を包まれていたので一瞬だけ混乱したけれど、すぐにホイットニーの家に泊めてもらって同じベッドで寝たのだと思い出した。ホイットニーの顔を覗き込むと、割と穏やかそうな顔で静かな寝息を立てている。彼の腕はわたしが寝入る前にわたしを抱え込んだまま姿勢がほとんど変わらず、しっかりと抱きかかえられている。なるほど、一晩ずっとわたしはテディベアの代わりを果たしたようだ。
ホイットニーの体温でほかほかの布団の中で二度寝を決めたい気持ちが無いとは言わないけれど、今日は月曜日だから学校に行かなければならない。制服や学校用のバックパックは当然孤児院にあるから、いちど孤児院に帰る必要がある。まだカーテンの向こうは薄暗いけれど、今何時だろう。ていうか雪止んだのかな。とりとめのないことを考えながら、ホイットニーの腕からそろそろと抜け出す。ホイットニーの熱い腕から離れるとちょっと寒い。
「……ぁ? アバズレ?」
と、ホイットニーがうめき声を上げながら身じろぎをした。起こしてしまったらしい。
「おはよう、ホイットニー。……起こしちゃった?」
「そうだな」
「ごめん……」
「別にいい」
ホイットニーがベッドサイドのスマホのディスプレイを点けて時間を確認して息を吐いた。AM6:00。
「まだ暖房のタイマー切れてる時間だから二度寝しとけ」
「ここから学校行けるなら正直したいけど。制服孤児院だから一旦帰んなきゃ」
そういや月曜か今日、と寝起き特有の低い声でいらえがあり、のろのろとホイットニーが体を起こす。彼はあくびを噛みころしながら「待ってろ」と言い残して部屋から出て行った。
言われた通りにホイットニーを待つ。デュベの中にいるとうっかり二度寝しかねないので、名残惜しい気持ちを押し殺して中から抜け出してたたんでしまう。……布団から出ると部屋の中は普通に寒い。タイマー切れてるって言ってたから仕方ないけれど。考えながら、ベッドから腕を伸ばして脇に落とされた服を引き寄せる。引き寄せた服から下着を引っ張り出して、服を脱がずにTシャツの中に腕を入れ、前かがみになってブラを胸の正しい位置にあてて後ろ手にホックを留める。ショーツに足を入れた辺りで扉の外から足音が聞こえたので急いでショーツを引き上げてTシャツの裾を直す。
「アバズレ、ドア開けろ」
扉の外からホイットニーの声が掛かった。なんで自分で開けないんだろ、と思いながらベッドから下りて靴を履いてドアを引いて開ける。
「おかえり」
「……」
戻ってきたホイットニーは両手にひとつずつマグカップを持っていて両手がふさがっていた。なるほど、だから呼ばれたのか。マグカップからはあたたかな湯気が上がって、イングリッシュブレックファストのブレンドの甘い香りがする。ホイットニーが片方のマグをわたしの方に差し出してくれたので、遠慮なく受け取った。ミルクが注がれたキャラメル色の紅茶がとぷんと揺れる。温かい。
「ありがとう」
ホイットニーはわたしの言葉に特段返事もせずに、マグカップに口を付けながらベッドにどっかりと腰を下ろす。わたしも彼の隣に腰掛けて、マグに口を付けた。力強いコクのある味が、すでに注がれているミルクでマイルドな口当たりになっておいしい。このブレンド、好き。
わたしとホイットニーは何を言うでもなく、ただ横に並んで、ゆっくりとマグカップの紅茶を飲み進める。でも、この沈黙は別に不快ではなくて、寧ろ心地よい。学校にいるときに彼が隣にいたらそこそこ警戒するけど(何起きるかわからないし)、二人きりだと近くに居られるとむしろ嬉しい。――こういう時間が長く続けばいいのにな、とぼんやり思う。
紅茶を飲み終えたらしいホイットニーが、マグカップをベッドサイドテーブルに置いて煙草を吸い始めた。それから少し遅れて、わたしも飲み終える。温かい飲み物が体に沁みて、寝てる間に下がった体温がじわじわと平熱に上がったように思う。だいぶ目も覚めた。
「ごちそうさま。カップ、どうしたらいい?」
「後で洗う。そこ置いとけ」
「わかった、ありがとう」
ホイットニーが顎でベッドサイドテーブルを示すので、立ち上がってカップをそこに置く。そろそろ着替えないとなあ。
さっき引き寄せた服の山からガーターストッキングを引っ張り出して、心なしホイットニーに背を向けて一瞬だけ靴を脱いで左足を入れて太腿まで上げる。右足も同じようにガーターストッキングを履く。寝巻がわりにとホイットニーに借りたTシャツを脱いで、流石に借り物なのでベッドの上にいったん置いた。ガーターベルトをウエストの位置に着けてホックを留め、四本の吊り紐をショーツの下に通す。一般的には先にガーターベルトをウエストにつけてからショーツを履くと思うけど、流石にホイットニーが同じ部屋にいる状態で一回下着を脱いで履きなおすのはちょっと躊躇われる。見栄え最重視なら紐が上のままでもいいかもだけど、わたしは普通に便利さ優先だ。左のガーターストッキングの前側を留め具で挟んでかちと留めて、右も同じように留める。
これたまにこのタイミングで伝染させちゃうんだよなあ、と、とりとめのないことを考えていたところ、何の前触れなく、頸椎に濡れた何かが触れて肩が跳ねた。
「――っ、! なななに!?」
反射的に首裏を右手で守りながら距離を取って振り返れば、わたしのすぐ後ろで右手に煙草を持ったホイットニーがくつくつと笑いをかみ殺している。いつ近づいたの、気付かなかった。わたしと視線が合うと、彼は口の端を楽し気に持ち上げた。一瞬だけ、濡れた舌がのぞく。
「そこに無防備なアバズレの背中があったらやるだろ?」
「やんないよぉ……」
気を抜いてホイットニーに背中を向けて着替えていたわたしが悪いらしい。理不尽すぎる。……いや、まあ、確かに、ホイットニー相手に視線を切るのは悪手というか、何されても文句は言えないか。見てても何するか予想つかないのに。仕方が無いのでホイットニーの方に顔を向けたまま、右足をベッドに乗せる。正面は立ってても留められるけど、後ろ側は脚を曲げてゆとりができてる方が留めやすい。わたしがあまり器用ではないだけかも。
顔を上げずとも、ホイットニーに見られている、のが、わかる。手が震えないように意識して、右後ろの留め具を留める。――肌を視線に愛撫されるのを感じている。左も同じように留めた。スカートを拾い上げる。顔を上げれば、ホイットニーの愉悦の視線がわたしの肌を辿っている。たのしそうな、顔。スカートに両足を入れて引き上げる。ホイットニーに見られてるだけで肌が熱くなってしまうのを、どうかばれないでほしいと祈る。ファスナーを上げてホックを留めた。――きっと彼は、わたしがどうなってるのか、わかっているだろうけど。最後にVネックセーターを着て、小さく息を吐きながらセーターの裾を整える。
わたしが服を着る一部始終を見ていたホイットニーが煙草の火を消してベッドから立ち上がってわたしを先導するように歩き出した。それに素直に従って、ホイットニーに続いて廊下に出る。いつの間にかタイマーの時間になっていたのか、セントラルヒーティングのラジエータの稼働音が静かな廊下に微かに響いている。
階下に下りてエントランスに向かい、フックボードに掛けていたピーコートを羽織ってボタンを留める。あれ、マフラーどこだっけ。と一瞬思って、昨日ホイットニーに奪わ……貸したのだったと思い出す。ホイットニーの革ジャンと同じハンガーに掛けられているわたしのマフラーに腕を伸ばそうとすると、ホイットニーに手をペちりと弾かれた。
「え? なに、どうしたの」
わたしの問いには何も答えずに、ホイットニーがわたしの首に何かを掛けた。何かふわふわしたもの、であることだけ感触でわかる。視線だけ動かして、マフラーを掛けられたらしいと知る。全体がオフホワイトで、フリンジの根元に濃いブルーのライン模様が二本ワンポイントで入っている。カジュアルで、ちょっとクールな感じ。……わたしのじゃないな。なんで? それと尋ねようとしたところで「顔上げろ」と短い言葉で言われて、素直に従う。わたしの身体は、ホイットニーに言われたことに従わないとよりひどいことをされると学習してしまったので、おおむね反射みたいな反応。それは流石にちょっと、てことには言葉で抵抗を示すこともあるけど、まあ勝率は五分もない。
首の下でホイットニーがマフラーの両端をあれこれ上手いこと調整している。少しして「もういいぞ」と声が掛かった。エントランスに添え付けられている姿見を覗き込む。「すごい」思わず声が出た。リボン結びみたいになっててかわいい。こういうマフラーの巻き方あるんだ。
「あの、ありがとう。でもこれ、わたしのじゃ……」
「文句でも?」
「……無いです」
すごまれたので口を噤んだ。マフラーのフリンジをなぞる。ふわふわで気持ちいい。気に入ってたマフラーが奪われてるのは困るけど、代替がもらえたからまぁ差し引きゼロ。むしろ、この巻き方かわいいな、と思ってしまったし、このデザインもふつうに好きなので、どちらかというとトータルでプラスな気もする。
「泊めてくれてありがとう。また明日――じゃないか、また学校で」
「はいはい」
玄関の扉を開けながら彼を振り返って礼を言えば、欠伸をかみ殺した呆れ声で応えがあった。……ホイットニー、いつもこの時間はまだ寝てるのかな、と一瞬思ったけれど、パブでしこたま飲んだ次の日だからかも、と思い直す。正直わたしもまだ身体にアルコールが残っている気がする。
「おら。はよ帰れ」
「わ、」
玄関から蹴り飛ばされて、バランスを崩してふらりと膝をついた。道に積もった新雪がクッションになって大した痛みはなかったけれど、転ぶのは普通にうれしくない。半身を捩じって振り返って抗議しようとしたが、振り返った時にはすでに玄関の扉が閉められていた。……はやい。
小さく息を吐いて立ち上がり、膝についた雪を払う。昨晩あんなに降っていた雪はもう止んで、柔らかい朝日が差している。いい天気だ。ふう、と吐いた息が白んで、空気に溶け消える。きらきらと新雪が朝日を反射して瞬いている。
急に一筋の風が吹いて突然の寒さに頸を竦めれば、ホイットニーが巻いてくれたマフラーに頬が埋まって、微かに苦いにおいがする。重くて甘い、彼のたばこのにおい。――ああ、やっぱり好きだなあ。きゅうと胸が疼く。
朝靄の中、軽い足取りで孤児院に向かう。
またこの街で生きる一週間が、始まった。――いつになく、最高のスタートで。