ひとめぼれ
(出会った瞬間、逃げました)


 己が師と仰ぐ武田先生が受け持つ授業である日本史の教科書を忘れるという、(彼にしてみれば)とんでもない事態をやらかした幸村は、100メートル9秒フラットという記録を樹立した。測定者はいないが、彼の廊下での爆走っぷりを見た人は、みな口を揃えてそう言うだろう。
 幸村は「佐助! 日本史の教科書を貸してくれ!」と心の中で叫びながら、6組の教室まで辿りつき、大慌てで六組の扉に張り付いて中を覗きこんだ。扉の近くにいた生徒が何事かと肩を揺らしたのだが、幸村は梅雨も気付かずに教室中を見渡した。しかし、「視力がアフリカの原住民族並」との太鼓判を押された視力を以ってしても、幸村は佐助を見つけられなかった。
 休み時間も半分が過ぎ、ああどうしようと顔面蒼白になった辺りで、後ろから声が降りかかった。

「Hey. アンタ、何してんだ? 邪魔だぜ」
「佐助を探してるでござる」
「佐助ェ? ――ああ、猿飛か。呼んでやるよ、だから退け」

 言葉のまま退いた辺りで、「誰の声だろう」という、至極真っ当且つもっと早くに思いつくべきことが幸村の頭に過ぎった。視線を僅かに下げると、濃い茶の髪を首の辺りまで伸ばしたおなごがいた。白い項が、ちらりと覗く。どきりと、した。

「猿飛、赤い客来てるぞ」

 清んだ声、だった。あまり大きくない普通の大きさの声だったけれど、凛とした声は少しだけ騒がしかった教室でも容易に通って。「んあ、」と、机に突っ伏していた佐助が身体を起こしたことも幸村の目には入らなかった。「旦那、来てたのか……」と立ち上がったの、すら。
 ――くるり、と振り返って「これで良いだろ? 邪魔だから戸から離れな」と言った少女を、ただただ見つめていた。
 すらりと伸びた背。紺のハイソックスで覆われた脹脛。服越しでもわかる、きゅっと締まった腰。細く白い首の、なめらかなライン。浮き出た鎖骨と、それを隠す紺のセーラーの襟。白磁のように白い肌。隠された右目と、それに対比するように存在と強さを訴える左目。眸の色は焦がしたカラメルのように甘そうで、睫毛の作る影が掛かり、甘さの奥に愁いを佩びさせた。
 その、目と。その強く甘い目と、視線をあわせた途端、幸村は弾かれたように教室に背を向け走り出した。その理由は、今の幸村にすら全くわからなかった。
 けれど、幸村の頬には、熱がこもってた。





write:2007/02/26
up:2007/02/27
私だけが楽しんでそうな、一目惚れ真田と意味がさっぱりわからない伊達のお話。
そして、まきこまれたおかん佐助……。ごめんね佐助。
セーラー服なのは私の趣味。セーラー好きなんだ!!

「ちょっと、旦那!? 俺呼んどいて何なの? ――伊達ちゃん何かした!?」
「……知るか」