痕跡をたどる
生の証


 家康は、人払いを済ませたがらんとした部屋の真中に、一人しずかに佇んでいた。屋敷の奥の奥、滅多に人も寄らぬがらんどうの部屋。二次成長がはじまる前であれば広く感じたであろうその部屋も、成長した今の家康にはやや狭く感じられる。しかし家康は、その部屋に幾度も足を運んでいた。
 ――関ヶ原が終わったその日から、何度も。
 関ヶ原――家康が己が手で三成を斃したその日から、早半年が経っている。今でも家康は、三成の胴越しに彼の臓腑を殴り潰したその瞬間、篭手越しとは到底思えない、三成の肋骨が砕けていく感覚をも克明に思い出すことができたし、あの日の光景と喪失を夢に見ることがしばしばあった。
 しかし家康は、周囲の人間にそれを悟られるような真似はしなかった。
 家人のいる場でも、部下のいる場でも、同盟を組んだ大名のいる場でも――家康は、彼に求められていた東軍総大将として、「徳川家康」としての姿を、一分の隙無く演じた。「絆」の力で天下を統べた、天下人としての姿を。
 しかしその裏で、彼が友の死を悼んで泣いていたことなど、誰も知らないのだ。
 家康に近しい者ならば、彼が泣いていたことを察したかもしれない。しかし家康はそれを気取られることを是としなかった。故に、他の者は家康のその傷に触れることはできなかった。彼の心の奥深くに隠された、深い傷跡には。
 家康は、その部屋に唯一置いていた刀の鍔に、そうっと指を這わせた。家康が鍔の形を確認するように辿ると、二つ付きになっている鍔の柄側の方が微かに欠けていて、家康の指先に引っ掛かった。ちくりとした痛みが指先を刺すが、家康はそれを気にした風は無く、そのまま柄のほうに手を動かした。柄巻きが黒ずんでいる。そこに指を触れると、ぱりぱりと固まった『何か』が少しだけ落ちた。

「……」

 家康の表情が、歪む。そのゆがんだ表情のまま、家康は指先で柄頭をなぞった。そこには、この刀の持ち主であった男の旗印が彫られている。大一大万大吉の六字紋。三成の、旗印だった。
 わななきそうになる唇を噛み締めながら、家康は柄頭から指を離した。
 しばらくそうしていたかと思うと、家康はおもむろに鞘に触れた。指先につたわる固さが、何故か無性に家康の心を突いた。そのまま、す、と鞘をなぞると、藤色の下緒のすぐ横に何かへこみがあることに気付いた。
 そこを、もう一度たどる。
 不意に、家康の脳裡には、二人同じ戦場に立ち共闘した時の三成の姿が過ぎっていた。素早く刀を抜けるようにと常に左手で鯉口の下辺りを持ち、刀を両手持ちする時は煩わしそうに鞘を咥えるその姿を。
 家康は、おそるおそる、今まで触れていた鞘の裏面に指を滑らせた。表面と同じように並ぶへこみ。三成がこの刀を揮っていたことを示すもの。
 三成はほとんど私物を持たなかった。私物らしい私物の大概が秀吉公から賜ったという武具ばかりで、佐和山城を総浚いした時のあまりの物の少なさに「三成らしいな」と考えたことを家康は思い出した。

「……みつ、なり」

 この刀は、その三成の数少ない形見だった。彼が生き、戦場を駆け回っていたことを示す、今となっては数少ない、もの。
 じわり。家康の視界が突然滲んだ。ぼたぼたと畳と鞘に涙が落ちていく。
 家康の唇がくるしみに喘ぐように上下して、言葉を紡いだ。しかしその言葉は、嗚咽に呑まれて消えていく。
 そして、その言葉が届けられるべき対象も、今となっては、どこにもいなかった。



write:2010/09/23
up:2010/09/24
家三っつうより家→三? になってしまった。ていうか三成死んでるから思いの行く先が不明なのよね。
シリアス風味漂ってるけど、コンセプトは「三成の刀の鞘に歯形残ってたら超萌えない?」だったりする。
うん知ってる、台無しって言葉は知ってる。自分で言ってて『台無しになった』と思った。
ごめん、ちゃんと後書き読んでる人いるのかわからないけどマジごめん。
ていうか、完成して読んでみたらなんだか「家康×三成の刀」みたいな状況になってて腰抜かした。