言えなかったのは
(裏切って)ごめんな、(でも)愛してる


 もう、限界かもしれない。
 家康は自分宛の書状を読みながら考えていた。今は時ではない、耐えるんだ。と言うだけならば容易いが、そうとも言っていられない状況になっていると、これまで家康に届けられた書状の数が言っていた。
 確かに秀吉公は見事に天下を取った。しかし、彼が腹心の軍師を病で喪ってからというもの、どこか綻びはじめていた。恐らく、秀吉公が世界に出れば、この国は再び乱れるだろう。
 秀吉公が統一した日の本が、秀吉公の手によって、ふたたび戦乱の世になるのか。そうなるくらいならば。やはり、自分が秀吉公を斃すしか――。
 家康は書状を畳み、のろのろと立ち上がった。ふ、と息を吹きかけて、油に灯った明かりを消す。
 そのまま厨に向かい、家康は濁酒を拝借した。それを手に、庭に出る。夜着が汚れるのも構わず、適当な木の根に腰を下ろし、酒を注ぐ。
 ……月が明るい夜だった。
 しかし、今の家康にはそれをきれいだと愛でるだけの精神の余裕は無かった。余裕を繕うような相手も、いない。
 杯を傾け、一気に煽る。
 ……悪い飲み方だな、と家康は自嘲するが、それを咎める人間はここにはいなかった。

「家康」

 呼び声に家康が振り返ると、夜着に身を包んだ三成が石畳の上に立っていた。
 家康と目が合うと、三成は怪訝そうに眉を顰める。

「三成、こんな時間にどうした?」
「それは私の台詞だ」

 三成は呆れたように言い、家康が腰を下ろした大樹に近寄った。元より色白であったが、月に照らされた三成の肌は病的なほどに青白ですらあった。
 家康の手に握られた濁酒の通徳利を見、微かに表情を歪めた。

「……珍しいな」
「三成も飲むか?」

 家康が誤魔化すように杯をひょいと持ち上げると、三成は一瞬たじろいだが、すぐに首を横に振った。

「要らん。元より酒には強くない」
「そうか」

 もしこれが秀吉公の勧めだったら断らないのだろう、と思うと、家康の心は鉛を付けたように重くなった。
 その鉛を振り払い誤魔化そうと、家康は杯に通徳利を傾ける。と、家康の手から通徳利が奪われた。驚いたように家康が顔をあげるのとほぼ同時に、「酌ぐらいはしてやる。杯を」と三成が言う。

「……ああ、すまぬな」

 家康が差し出した杯に、三成が濁酒を注ぐ。家康はそれを半分ほど飲み干して、短く息を吐いた。しろい濁りがかすかに揺れる。
 三成は酒を注ぎ終わると、家康と同じように大樹を背にして腰を下ろした。二人の距離はおおよそ五寸ほど。三成は手持ち無沙汰そうに木の根の表面をなぞっている。家康はそっとその手の上に、自身の手を重ねた。
 触れた瞬間、かすかに三成の手が震えたが、家康はそれを包むように手に僅か力を込めた。

「……家康」

 三成の低く落ち着いた声が、家康の名を呼ぶ。

「何だ、三成」
「……私に。何か、言うことはないか」

 三成の言葉に、家康は内心ぎょっとした。しかしそれを表に出すことはなく、家康は努めて静かに口を開く。

「特にないと思うがなぁ」

 心音の逸りが三成に聞こえないように、いつもと変わらぬ態度を心掛けて、家康は告げる。
 しばらく、居心地の悪い沈黙が降りる。

「そうか。わかった」

 三成はそうとだけ返し、立ち上がろうとした。しかし、握られた左手が邪魔で立ち上がれない。三成は静かに言う。

「……部屋に帰る。離せ」
「三成」

 家康は、握った手に力を込める。もしかしたら少し痛いくらいだったかもしれない。
 三成がかすかに表情を歪ませ、「何だ」と聞いてくる。家康は三成の手の甲を人差指で優しくなぞりながらも、内心では今にも泣き出したい気分であった。

「もう少しだけ、一緒にいてはくれんか」

 こうやって三成の隣にいられる時間も、もうないのだから。



write&up:2010/09/29
アニメ最終話で、三成は思っていた以上に落ち着いた喋り方をしていたので、それに滾りました。
良くも悪くも三成を激昂させるのは家康なのね!!! みたいな路線で。
裏切りを覚悟するも三成と離れるのが寂しい権現と、本能で家康との別離を察する凶王さんのお話。
両片想いって美味しいと思うの、と思って書いた。完全なる自分得小説。