その背が引き出すもの
名伏しがたい衝動


 手合せを終え、家康は詰めていた息を吐いた。三成と家康の手合せは、実力が拮抗していることもあって一瞬たりとも気の抜けないものである。
 三成は手合せを終えた後は用など無いといわんばかりの態度で、家康の方に無防備な背中を晒している。
 ――細い身体だ、と家康は思う。筋肉がないわけではないが家康と比べると少なく、あれでよくあそこまで動けるものだと感心する。
 手ぬぐいで自身の汗をぬぐいながら、ぼう、と三成の背を見つめる。過去には三成の背丈に負けていたことを悔しく思い、身長を伸ばそうと努力したこともあった。今では同じくらいの背になったが、三成はそのことを気にした様子もない。気にしているのは己だけか、と家康は思わず苦笑した。
 三成は自身の襟に手をかけ、上半身をはだけさせた。
 ぞっとするほど白い膚の背に、肩口にできた真新しい赤い痣と横腹にある治りかけの滲んだ色の傷が、浮かび上がる。
 ぞくり。背骨から、名伏しがたい情動が沸き出でた。家康ののどが、おおきく上下する。家康はそれを誤魔化すように首を振った。
 三成は家康のことなど露知らず、井戸の水を頭からかぶっていた。ざあ、三成の白銀の髪が水に濡れる。汗を流したかったのか、動いて熱った体を冷やしたかったのか、家康には判断がつかなかったが、いつもの自分の姿を繕いながらその背に声をかけた。

「井戸の水は冷たいだろう……」
「問題ない」

 振り返った三成は、事も無げにそう言った。彼の前髪からは水が滴り、頬を滴が伝う。三成は顔を顰め、顔の水を手で軽く拭った。しかし髪の先からぽたりぽたりとまだ水は滴り落ちる。

「……家康、貴様の手拭を寄越せ」
「わしの使いさしだぞ?」
「構うものか」

 伸ばされた三成の左手に、家康は持っていた手拭を手渡した。三成が無造作に髪を拭っていると、髪の毛先が持ち上がり、ほっそりとした彼の首が顕わになる。
 ……目に毒だ。
 家康は心中で呟いたが、家康がそんなことを考えているなどとは露ほども思わない三成は、むっつりと黙り込んだ家康に「どうした」と声をかけた。

「な、何がだ、三成」
「いつもうるさいくせに、今日は妙に口数が少ない。明日は槍が降るか」

 三成は表情とはそぐわぬ軽口を叩く。家康は困ったように笑いながら、三成の左手に恭しく触れた。三成が不思議そうに家康の行動を見つめる。
 肉刺のつぶれた厚い手が、三成の手を辿る。
 まだ居合いに慣れぬ頃につけたであろう傷の痕をなぞると、三成は微かに表情をゆがめた。

「何の真似だ、家康」
「いや、まあ、なんとなく……だな」

 無意識の行動だったのだろう、家康はしどろもどろに言い訳を連ねながら三成の左手を解放した。三成は呆れたように溜息を吐くと、家康に手拭を押し付ける。家康が反射的にそれを受け取ると、三成は踵を返し歩き出した。自室にでも行くのだろう。
 再び、家康に無防備な背中が晒される。

「三成!」

 呼び止める。と、三成は見えぬ眉間に皺を寄せながら振り返った。

「何だ」
「明日も手合せを頼めるか?」
「……好きにしろ」

 それだけ告げて、三成は歩き出した。
 ――三成の白い背と、それに浮かぶ痣と傷痕。
 その絵は、三成の背が見えなくなっても、家康の脳裡に鮮やかに残っていた。



write&up:2010/10/02
はじめは、いわゆる「セクハラ権現」というのに挑戦しようとしていた。
……しかし、完成してみるとセクハラとはほぼ無縁な内容になってしまったよ。手に触れてるくらい?
出発点が「平和にいちょいちょすればいいよ!」だったのに、「白い背中に痣の痕最高!」に帰着するとか……
三成の白い背中に青と赤の痣があればたいそう興奮するだろうなーと思って……。私の欲望がだだもれw