重ならない温度
触れられない


「三成、調子はどうだ?」

 差した光に、三成はそちらをちらりと見やった。声で誰が来たのかは流石にわかってはいたが、やはり薄暗い場所に居ることを強いられている今は、僅かな光でも懐かしく思えた。
 関ヶ原で家康や政宗をはじめとする東軍に敗れ捕虜となった三成は、江戸城の座敷牢に捕らわれている。もう何ヶ月になるか、三成は覚えていない。数えることは、とうの昔に放棄していた。
 三成が軽く姿勢を正すと、三成の細い足首に括られた足輪に繋がる鎖からじゃらりと音が鳴る。三成の自由を戒める鎖が発する鈍い音は、薄暗い部屋に響き渡った。

「楽にしていて構わんぞ」

 家康の言葉に、三成は剣呑に眉を顰めた。
 しかし、三成は口を開こうとはしなかった。三成はただ口を噤み、冷えた色のない目で格子越しに家康を睨め付ける。

「また痩けたな……いつももっと食えと言っているだろう」

 家康の声色には、望郷に似た響きが湛えられていた。その響きに生温いようなおぞましさすら感じ、三成は内心唾棄したい感情に襲われた。ここが牢でなければ、そして、三成自身が敗軍の将でなければ、三成はその激情のままに家康を怒鳴りつけていただろう。
 私から全てを奪った貴様が何を言う、と。
 三成の内心を知ってか知らずか、家康は朗らかな笑みを浮かべ、座する三成を見下ろしている。

「三成」

 ぞっとするほど優しい声だった。一度敵対した相手に掛ける言葉らしさはどこにも見当たらない。
 三成は牢にいることとは質の違う居心地の悪さを感じながらも、座した姿勢を崩さずに家康を見上げた。見下ろす家康の視線に何処か見覚えがあるような気がして、三成はぼんやりと記憶を手繰った。

「前の戦の時も言ったが、食べないといつか倒れてしまうぞ」

 家康の言葉に違和感を憶え、三成は胡乱に目を細めた。三成を見つめる家康の視線の色は、声と同じくらい優しい光の色をしている。違和感が募り、背が冷えるような感覚が競り上がってきた。
 三成が居心地悪さに微か身動ぎすると、家康はきょとりと目を瞬かせた。

「寒いのか?」

 気遣わしげに尋ねてくる家康の言葉に、三成は、いつだったか過去の家康の姿が彷彿した。
 今の家康の目、そして今発された言葉は、まるで家康が裏切る前のそれに似たもの――いや、同じものにしか見えなかった。
 ――何故袂を分かつた相手にこんな顔が出来るのか。
 家康が裏切る前から理解しがたい面がなかったとは言わないが、流石に今の家康の応対に理解が出来るはずがない。三成は眉間に深い皺を刻み込んだまま、家康を見つめていた。
 三成が何も口を開かないでいれば、家康は哀しそうに顔をゆがめた。その顔だけ見れば、三成と家康が敵対関係にあるとは到底信じられないだろうし、三成が牢に囚われている事実にさえ目を伏せれば二人はごく普通の友人同士に見えただろう。
 ――その過去を望郷する目は何だ。その頃の私との絆を壊したのは貴様だろう。
 三成は眉間に皺を寄せたまま、ゆっくりと目を閉じた。言いたい言葉は数多三成の中に積み上げられていたが、それは全て三成の心の中に沈められていった。三成の全てを奪った家康に、これ以上何かを与える気にならなかったのかもしれない。

「三成。なあ、三成」

 耳朶に柔らかくしみこむ声はやさしく、けれど、ぬくもりは格子の向こう。重なり合うことは無かった。



write:2010/11/07
up:2010/11/08
テーマは トチ狂った家康とひん曲った三成 だったんだけどなあ。