滲み消ゆるは
昔のお前さんの姿


「貴様は動くな」

 三成は剣呑に目を細め、官兵衛を見下ろした。地に這い蹲る官兵衛は首を上に遣り、己に枷をかけ不自由な生活を強いる張本人を睨み上げたが、三成は何処吹く風といった風で「動くなと言っただろう」とだけ言った。
 三成の左手には彼の愛刀の鞘がいつもと変わらぬ姿で握られている。
 三成は無機質な表情のまま、それを振り下ろし、鐺で官兵衛の肩を強く殴打した。官兵衛はぐ、と短い呻き声を上げる。

「貴様はその薄汚く鼻持ちならぬ臭いのまま秀吉様の居城に入るつもりだったのか」

 官兵衛の呻きを無視しているのか聞こえていないのか、三成は左腕にかける力を強めながら問い詰める。その痛みから逃れようと官兵衛は身動ぎするが、枷とそれに付けられた錘がそれを許さない。

「この枷で身体も満足に洗えんのだ、お前さんの所為だろう!?」
「その枷の原因は何だ? 貴様の浅ましい野望だろう」

 ――別に、官兵衛は謀叛を企てたわけではない。危害を加えたわけでも、加えようとしたわけでもなかった。ただ、虎視眈々と、秀吉の次代となりうる席を狙いすましていた、ただそれだけのことであった。
 それにいち早く気付いたのは半兵衛でも吉継でも、秀吉本人でもなく、秀吉をただひたすらに信奉していた佐吉――当時はまだ幼名を名乗っていた、三成であった。
 野望ですらない、将来を見据えた展望でしかない、と官兵衛は思っていたし、今でも実際問題そう考えている。しかし三成にとって、秀吉の統べた天下以外のものは最早正義ではないのだろう。三成のものさしは、すべて、秀吉が基準なのだ。

「お前さんは……いつからそうなったんだろうな」

 官兵衛は、三成が己にも半兵衛同様に「様」を付け、秀吉ほどではないにしろ慕っていた頃を思い出しながら呟いた。
 穴蔵生活が長すぎたのか、それはもう随分と昔のことのように感じられた。

「何を詰まらんことを言っている」

 す、と押し付けられていた鐺が離れていく。官兵衛はすかさず上半身を起こし立ち上がろうとしたが、その前に突然、水のかたまりが官兵衛の頭上に落ちる。唐突のことに官兵衛が咽返りながらも見上げると、ちょうど三成が煩わしそうに桶を投げ捨てていた。

「三成、お前さんせめて先に何か言ってくれんか!?」
「濡らしたとて臭いはそう変わらないのか」

 三成は官兵衛の言葉を無視して、官兵衛をじろりとねめつけた。
 そして、三成は自身の鼻先を、官兵衛の濡れた前髪に当たるか当たらないかの距離まで近づけ――額のすぐ近くまで唇を寄せ、口の端を持ち上げて告げる。

「獣臭い」

 くつくつと、三成が嗤う。
 官兵衛の前髪から、水が滴り落ちた。その滴は地面に落ちて、じわりとその姿を失った。まるでそれは、官兵衛の中で揺らぐ、自身に殺気を向けなかった頃の佐吉の姿のようだった。



write&up:2010/09/18
え、あの、いや、この執着は三成なりの愛って言うか……その、これ黒三のつもりなんだけど……だ、だめ?
イチャコラさせるにはまだ踏ん切りがつかなかった……。とりあえず枷を与えたのが三成とか美味しすぎ。
妄想と空想と筆の迸りに身を任せて黒三を書いたらこんなことになったよ!
初めは騎乗位でガンガン腰振る三成を書こうとしてたとかそんな馬鹿な。
どうでもいいけど「黒蜜」て、音だけ聞くと胸キュンするようになりました。病気ビョウキ。