眩惑する闇色の毒
きづいたころにはもうておくれ
薄灰色の空に、硝煙の煙が上った。本陣にて待機をしていた元就はそれを見上げ、先陣隊はもうそこまで行ったか、とぼんやりと考える。敵本陣の1つ手前の陣は、砂埃と硝煙が混ざって見え難くなっている。遠眼鏡からその光景を覗いていた元就は、溜息を一つ落とした。「もうよい」とだけ言って遠眼鏡を小姓に渡すと輪刀を構えなおした。 本陣を護るために残された石田軍の兵たちは、どこか緊張したような面持ちで立っている。 ――まあ、それも仕方あるまい。 元就は自身が構える輪刀を緩く動かしながら考える。よもや本陣に大将ではない武将を残し、総大将本人が先陣を切って敵陣に突入するなどとは元就はおろか、石田軍の兵士にも予想外だったのだろう。あからさまに不安げな表情を浮かべる兵卒すらいた。 先の軍議で、先陣隊を三成が率いると言い出した時、「正気の沙汰ではない」と元就は顔を歪めたが、その元就の表情の原因、総大将である三成にはそれは何処吹く風であった。大谷に到っては、「アレはとっくに正気ではない、憎悪に囚われし凶王よ」と返し、元就の言葉を一笑に付して終わるだけであった。 恐らくあの煙よりも遥か先に石田がいるのだろう、と元就は息を吐いた。三成の足の速さに追いつける足軽も早々いない。それどころか、そこいらの忍どもでも追いつけぬだろう。 三成の居合いが敵を待つ兵を蹂躙し道を作り、その後兵卒共が追いつきその場が正しく文字通り戦場になる。総大将が先陣を切るということ自体どうかと元就は思うたが、効率という点では確かに間違っていないのかもしれない。 しかし今現在、西軍がどうなっているのかはわからない。伝令の一人でも寄越さぬか大谷め、と元就は心中で大谷を毒づいた。 現在前線では何が起こっているのだろうか、と考えた元就が思い浮かべたのは、いつかの戦場で三成と共闘した時の光景だった。血を浴びることを厭わず斬りかかり、全身を赤い血に塗れさせながらも凄然に嗤う三成の姿。それを脳裡に思い描くと、元就の唇は自身でも意識できないほど僅かに歓喜の形に歪まれた。 此度の戦は、元就が遠眼鏡で硝煙の煙を見てから半刻ほどで終了した。敵の総大将の首級を三成が落とし戦を終えたのだと元就に伝えたのは、先に本陣に戻ってきた大谷だった。 「石田はどうした」 「ヒヒッ、気になるのか毛利」 「……総大将が戻ってこなければ気になるのは道理だろう」 元就は氷のような表情で、大谷の言葉を切り捨てる。 元就のその様子に、大谷はまるで全て見透かしたような笑みを浮かべたが、おもむろに亡き骸が重なる戦場の方を指差した。元就がそちらの方に視線を遣ると、亡き骸どもの倒るる焼け野原の真中を、三成がふらふらとやや覚束ない足取りで歩いているのが目に入った。 「見遣れ毛利――朱を纏うた凶王はこうも美しい」 詠むように告げた大谷は、元就から離れていった。 徐々に三成が近付いてくると、三成の今の姿が元就の目にも捉えられた。 三成は、それまで血を浴びていたとは思えないほど静かな表情で、本陣に向かって歩いている。その姿は、陣羽織のみならず、胴も草摺も血に濡れていた。黒色ゆえに血の色がわからぬが、恐らく手甲や佩楯にも付いているのだろう。しろい頬や銀の髪にべったりと付いた血を拭おうとすらしていなかった。 白が赤に侵食されるその光景に、元就は思わず喉を鳴らしそうになっていた。 「……今、我は何を」 はっと気付き、元就は困惑した。今己は、何に喉を鳴らしそうになったのか。自身でも理解し難い体の変化に、元就は眉間に皺を寄せた。視線を三成から外し、元就は緩々と自身の輪刀を見つめた。日輪の光を受けて鈍く煌めいていた。 「毛利」 低い声に呼ばれ、元就は顔を上げた。元就のすぐそばに三成が立っている。慣れぬ者なら咽びそうなほどに濃い血水の匂いを纏っている。 「……何用だ、石田」 元就が尋ねると、三成は血に濡れた顔を微かに歪めた。 「後処理は刑部と貴様に任す」 それだけ告げ、三成は微かに息を吐いた。 頬にべっとりと付いた血の端が乾いていたのか、その軽い動作一つでも何かが剥がれるような小さな音がした。その音は、本当に微かな音だったはずなのに、元就の耳には不思議と大きく響く。 ぞわり。 背が燃えるような錯覚がして、元就の視界が、眩んだ。 「……毛利?」 名を呼ばれ、元就は意識を取り戻した。三成の表情が胡乱げに元就を見つめている。元就の指は、三成の頬をたどり、赤い血をなぞっていた。 「……早う拭え、乾きかけておるわ」 元就は三成の頬から手を慌てて引きながら誤魔化すように言った。三成は元就の態度に何の疑問も感じなかったようで、「そうか」とだけ言い、踵を返した。元就に背を見せ、すたすたと歩き去っていく。三成の細い陣羽織姿を彩る赤。 元就はぼんやりと、三成に触れた自分の指を見つめた。まだ乾いていなかった返り血が、元就の指先に付着して微か赤くなっていた。 元就は、そうっとその赤に舌を這わせる。――苦い味が、した。 write:2010/10/13 up:2010/10/14
意識せず、「石田三成」という毒に蝕まれている元就様のお話。
三成は、自身が意図していようがいまいが(むしろ無自覚に)周囲を惑わしてるよなーと思いまして。 そういう辺り、三成は市に似てると思う。それもあって大谷さんは市を大切にするのかな、とも思う。 まあ、この話題はナリナリ小説の後が気に書くことじゃないから自重しとくわwww 後は、すくえあばさら2巻の、伊達軍壊滅させた後の血を浴びた姿の三成があまりにも美人だったのでつい。 |