夢に沈んだとて
望むものは得られない
書庫の扉を開けると、庫の中から冷えた空気が溢れ出た。書が劣化しないようにと薄暗くなっている書庫に一歩足を踏み入れれば、床がぎしりと軋む音が響く。 元就は手に持った灯りで庫内を照らしながら、まっすぐと淀みない足取りで奥へと歩く。ぎし、ぎし。限界まで書を入れているのか、歩くたびに床が軋む。後日整理でもさせるか、と考えながらも、元就の足取りは止まらない。ずんずんと奥へと歩いていた元就は、目的の書棚の前で立ち止まった。 細い元就の指が背表紙を辿り、一冊の書を引き抜いた。元就は持っていた灯りを低い書棚の上に置いて、引き抜いた軍法書を開いた。手早く目的の頁を手繰りつつ、元就は書棚に背を当てた。 元就の頭脳は、常に「毛利家繁栄」という目標の為に回転している。それは、西軍に与した今も変わらない事実である。そうでなければ、あのような扱いにくい人間がいる軍に与するなど、元就が選択するはずも無かった。 元就は細く息を吐くと書を閉じ、それを元の位置に戻した。そして、再び灯りを手に持つと、別の書棚へと歩みを進めた。先ほど同様、その足取りには迷いが見られない。書庫に置かれた書は、内容まで全てとは言わないが、大概を把握しているのだろう。 足音と、僅かに軋む床の音が庫内に響いている。元就が持つ灯火が、書棚に揺らぐ影を作っていた。 元就は、この人のいない書庫で軍法書やらを手繰る時間が、存外好きであった。元就自身、一人でいることを好む性質であった。政務やら何やらで書庫に来れる時間は限られるが、ここにいる時の方が自室や政務室にいるより一人でいられるのだろう。 元就は細く息を吐き、ふと手前の書棚を見た。確かこの棚には青表紙本の写しがあったな……と考えていると、元就は棚と棚の間の奥のほうに、何か書物ではない物影があることに気付いた。 「……誰か居るのか」 元就は思わず眉間に皺を寄せ、一歩そちらに寄った。ぎしり。床が鳴る。警戒しながら数歩寄れば、その「影」が照らされる。その影の正体は、書棚に背を預けて腰を下ろす三成であった。 「石田。……そんなところで何をしている」 元就の苛立たしげな声にも反応を示さない。俯いたまま微動だにしない三成に、元就は何か思い至ったらしい。三成のすぐ近くまで歩み寄ると跪き、顔を覗き込んだ。 揺れる灯が三成の顔を照らし出す。 苛烈な色で耀く三成の目は閉じられている。灯が眩しいのかかすかに表情を歪めたが、目が開く気配は無い。 「……こんな場所で寝るとは」 貴様がまともな睡眠も摂らぬと嘆いている大谷が泣くぞ、と元就は嘯いたが、三成はその声にも反応を示さず、静かに息を立てるだけであった。 元就は、じっと眠る三成の顔を見つめていた。 三成と元就は、顔を合わせたとて談笑するような仲ではない。三成は元就を「信頼できない」と言うし、元就は三成を「愚かな男だ」と称している。二人の関係はお世辞にも良好とは言えなかった。 「この寝姿からは「凶王」の姿など思い描けぬな」 くつくつと笑いながら元就は言った。そして、ふと、元就は手すさびに三成の頭を優しく撫でた。その手の触れ方は優しく柔らかく、二人の関係にはまるでそぐわぬもののようであった。 頭を優しく撫でていると、不意に、三成の睫毛がわなないた。元就は慌てて腕を引くが、三成は起きる様子はない。何事かと元就が三成を見つめると、三成の唇が何かを求めるように上下した。 「ひでよし、さま……」 それは、寝言だった。求め縋るような寝言は、常の三成の口から紡がれる攻撃的な言葉とは裏腹で、まるで稚児のそれのようだった。 目尻から涙が流れ、わなないた睫毛が濡れている。元就は口を噤み、息を吐いた。 「――憐れな男よ」 元就は細く囁き、三成の涙の筋を指で拭う。やはり三成は起きることなく、静かに呼吸をするだけだった。 write&up:2010/11/05 案外優しい毛利様
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