喪 失
その覚悟は、
石碑の前で、大谷は静かに佇んでいた。捧げられた花は、そよぐ風にもてあそばれ揺らいでいる。 まだ真新しい石碑に刻まれた名を、大谷は包帯に包まれた指先でゆるりとなぞる。まだ彫られたばかりで鋭利なその名の痕は、包帯ごと大谷の指先を微かに傷付けたが、大谷は刻まれた名から指を離そうとはしなかった。じわりと赤が滲む。 「まさか、ぬしがわれより先に逝くとはな」 ぽつりと呟いたその声は、寂寥に満ち満ちていた。 ――東軍を討ち破った西軍は、進軍先を世界へと向け、海に出た。 「秀吉様の威光を世界にも示すのだ」と三成が言うのを、大谷は止めなかった。三成が言うならそうさせよう、とも思ったのも真実ではあったが、そこに大谷自身の打算が無かったと言えば嘘になる。 しかしそんな大谷の下心など、三成は知る由もない。三成が大谷の言葉を疑うことはないのだから。 しかし、世界に秀吉公の名が響き渡ることは無かった。大陸への海路の最中、大将たる三成が大阪城で受けた傷が原因で病に罹り、そのまま眠るように死んでしまったのだ。 「遺すのはわれだと思うていた」 大谷の体は永らく治らぬ病に蝕まれ、三成が家康への復讐を誓った頃には、もう長くは保たぬだろうと自覚できるほどの病状になっていた。三成を遺して逝く覚悟も、あの時したはずであった。 しかし、蓋を開けて見ればどうだ。 遺していったのは遺されるはずであった三成の方で、病に食い潰され命を磨耗され続けた大谷は遺された。 「物事は計画通りには進まぬのだな、愉快ユカイ」 言葉の内容とは裏腹に、大谷の口調は重苦しく、まるで搾り出すような声色であった。 物事がどうなるかはわからぬものよ、と大谷はぼんやり思う。大谷は、憎しみという原動力を失った後の三成がどう転ぶのか、壊れやしないか不安に思っていたが、大谷の不安はいっそ面白いほどに的中しなかった。 それで良い、と大谷は思った。三成が太閤を求めて奮闘すればするほど、三成は生き生きとする。大谷は、彼の生き様を己の命が尽きるまでは見ていようと思っていたのだが――それは叶わなかった。 「……ぬしとの約束通り、われはぬしを置いては逝かなかったろ」 大谷の指が、墓石を優しくなぞる。大谷の目がゆっくり細められた。 「この唇は、嘘しか紡がぬと思うておったが――」 嘘から出た真とでもいうのか。虚々実々を重ねた結果がこうなるとは、なんとも悪趣味な意趣返しよの、と大谷は自嘲した。 「眠れやネムレ、われの愛い凶王よ」 ――そして、われが行くまでは待っておれ、三成。 呟いて、大谷は目を伏せた。名をなぞっていた指先が、静かに震える。 風が吹いて、大谷の面を隠す布がふわりとなびいた。捧げた花からは、ひらり、はなびらが一枚落ちていった。 write:2010/10/18 up:2010/10/19
自分が三成を置いて死んじゃうビジョンばかり思い描いていて、 自分が三成に置いて逝かれるとかあまりに予想外すぎて、盛大にショックを受けた大谷さんのお話 |