執着


「貴様は莫迦なのか、大谷」

 本陣に戻った大谷を迎えたのは、元就の呆れた言葉であった。戦勝での浮かれた空気すら感じられる本陣にはそぐわぬほどに冷え切った声でのそれに、大谷は思わず肩を竦める。

「ヤレ毛利、本陣に戻った将に対する物言いとは思えぬの。もっと労いでも込めても良かろ」
「貴様は然程何もしていなかっただろう。遠眼鏡で見たわ」

 元就はフン、と鼻を鳴らす。大谷はそうかそうか、と大した感慨も無さそうに返事をすると、ふよりふよりと浮かぶ珠を一つ自身の傍に寄せた。三成の死角を突こうとした将を倒した時の返り血がべっとりとついている。溜息を一つ落とし、手のあいた兵卒に布を持たせるように言付けた。

「しかしぬしに莫迦扱いされるとは思わなんだわ。ぬしはわれと三成の戦に何を見おった?」

 急いで布を持ってきた兵卒から受け取った布で軽く珠を拭ってから、大谷は尋ねた。
 元就は大谷の手の中にある珠を見ていたが、ややしばらくして、ゆっくりと口を開いた。

「石田には大将としての自覚が足りぬわ。兵の使い方がなっておらぬ。よもやあんな真似をするとはおもわなんだ」

 元就の静かな指摘に、大谷は瞠目した。元就が言う「あんな真似」というのは、連れていた兵を統率するのを放棄し、単身で敵陣に突っ込み掛かる敵掛かる敵をすべて根こそぎ切り捨てたことを言っているのだろう。大谷自身もその戦法は如何なものかと思っていたが、よもや元就にそのようなことを指摘されるとは思ってもみなかったのだ。

「ぬしが三成に対してそのようなことを言うとは」

 大谷は大仰に表情を歪ませそう言うと、元就は秀眉をひそめて渋い顔を示した。しかし大谷は元就の表情など物ともせずに咽喉の奥から搾り出したような笑い声をこぼすだけであった。

「貴様もほぼ同罪だろう」
「ハテ、何のことかわからぬな」
「白々しい。蛮行を止めないのは貴様の判断だろう、大谷」

 大谷は一瞬だけ、血を拭う手を止めた。
 すぐにそれは再開されたが、その大谷の微かな揺らぎを見逃すほど元就は優しくはないし、耄碌もしていなかった。氷面のような表情で、元就はなおも続ける。

「アレは人の上に立つ人材ではなかろう、人の下にいてこそ――」
「あれはやらぬぞ」

 元就の言葉を遮り、大谷が言う。大谷は血を拭っていた数珠をも空に浮かせ、昏い目で元就を見つめていた。

「……何の話だ」

 話が見えない、と言うように僅かに眉を顰め、元就は大谷に向き直った。元就のその表情を見止め、大谷はくつくつとすすり笑う。

「ぬしには駒がたくさんあろう? 毛利家を長らえるための駒共が」

 ぎょろりと大谷が横目で見遣った先には、毛利軍の兵――元就が言うところの「捨て駒」――達がいた。
 元就は胡乱に眉を顰めたまま、大谷を見つめている。

「われにはアレだけしかおらぬのよ」

 大谷はそうとだけ告げると、音もなく元就から離れ、三成の元へと輿を飛ばした。元就はそれを冷淡な目で見送りながら、小さく息を吐いた。
 ――自覚はあれど、それが如何程のものかという自覚までは無しか。まさか大谷があそこまでの執着を見せるとは予想以上ではあったが、所詮我の策の内よ。
 元就は微かほくそ笑んだ。

「刑部。どこに行っていた」
「毛利の処よ。……それよりも三成、血水を拭いやれ」

 元就の視線の先では、大谷と三成が戦後とは到底思えぬような会話をしている。元就はそれからふいと視線を外すと、踵を返し歩き出した。

「全ては順調よ。全て、な」

 元就の笑いすら内包された呟きを聞いた者は、戦勝で沸き立つ陣の中には、誰もいなかった。



write&up:2010/10/30
吉三のつもりで書いたのに元就様が蝶出張ってきたんですけどどういうことなの。