冥途を待つ
待ち人はいないのに


 三成はゆるく口を開き、深呼吸をした。布団に横たえられた三成の身体は、ゆっくりと身動ぐ以外には動かない。
 関ヶ原で数多の刀傷を作り、家康と対峙し臓腑も潰されかけたが、動けないわけではない。三成の肉体の傷は、ゆっくりではあるが、確かに快復に向かっている。――昔と変わらず碌に食べない三成の傷の治りは、一般人のそれとは比べられないほど遅いのだが、それでも確かに陣大将に付けられた裂傷は見ただけで治りかけているのがわかった。
 しかし、憎悪という原動力、如いては仇討ちを叶う術を失った今となっては、布団から出る気力がほとんど無いのだ。

「……刑部」

 三成の唇が、しずかに、戦慄いた。
 三成は一人では何もできない。三成は、「自分」というものを優先できない。自覚は無いかもしれぬが、何かの為でなければ生きられぬのだ。だからこそ、秀吉が健在であった頃は秀吉に仕えることに生きる意味を見出していた。――家康に秀吉が討たれるまでは。
 秀吉を亡くし、どうにも何もできなくなった三成に、「秀吉を殺した家康を憎み」「秀吉の仇を討つ」という生きる理由を明確に持たせたのは、大谷であった。
 指摘されてから空腹に気付き、自主的に寝ようともしない、生存欲に欠けた存在である三成をここまで生かしたのは、大谷によるところが大きい。
 もし大谷が三成の家康に対する憎悪を喚起させなければ、三成はあの後追い腹をしなかったという保障はない。
 しかし、今ここには大谷はいない。
 三成は捕虜として――敗軍の将として、ここに捕らえられている。大谷が生きているのか死んでいるのか、知る術もない。三成に食事を運ぶ徳川軍の兵士に尋ねれば答えるのかもしれなかったが、三成はそうしなかった。生き残っているとは、思えなかった。
 三成はゆっくりと目蓋をおろした。障子紙越しに、柔らかい日差しが差し込んでいる。
 在りし日の三成は、秀吉に仕えることに生きる意味を見出してきた。関ヶ原のその日までは、家康の首を秀吉の墓標に掲げることを目標に生きてきた。しかし、敗れた今となっては、三成にこの世にとどまる理由はほとんど無い。少なくとも、三成には生きる理由を見出すことはできなかった。
 ふと、遠くから足音が聞こえ、三成は閉じた目蓋をゆっくりと開いた。緩慢な動作で、音の方に顔を向ける。徐々に大きくなる聞き覚えのある足音に、ぼんやりと過去の記憶が彷彿したが、三成はそれに気付かない振りをするように目を伏せる。そのまま、ゆっくりと、目を閉じた。
 足音はだんだんと大きくなり、近付いてくる。程無くして、障子が開く音がした。

「三成、調子はどうだ」

 やはりか。三成は声に出さずに心の中で呟いた。ここ徳川の本拠地で、この男以外の聞き覚えのある足音など聞かないだろう。考えながらも、三成は反応を一切示さなかった。傍から見れば、昏々と眠り続けているように見えただろう。

「……まだ眠っているのか?」

 三成が返事をしないのをそう解釈し、家康は三成が横たわる布団のすぐ横に腰を下ろした。家康は何かを言うでもなく、部屋に篭りきりで蒼白い三成の顔をしばらく見つめていた。そして、くしゃりと顔を歪めて苦笑し、立ち上がった。

「また来る。その時は起きててくれよ、三成」

 その時には良い報せが出来るといいが……と言いながら、家康は部屋から退出した。家康の足音が完全に離れてから、三成はゆるゆると目を開く。
 そして、天井の染みを眺めながら、ぽつりと呟いた。

「良い報せ――処刑の日取りのことか」

 三成の呟く声は、おそろしいほどに平坦だった。ふ、と口元に笑みを浮かべ、三成は自身の横腹にある治りかけの刀傷の辺りを緩くなぞった。
 ――恐らくこの傷が治る頃、自分は処刑されるのだろう。そう算段をつけ、三成は虚空に向かって囁きかけた。

「もうすぐそちらにゆく。もうしばらく待っていろ――刑部」

 生きる理由をうしなった男は、ゆるやかに、死へと歩んでいた。



write&up:2010/11/03
大谷さん一切出てこないですけど吉三だと言い張ります。言い張るのです。
三成は、大谷さんが矛先を「家康憎し」に曲げたおかげで、秀吉様の後を追って追い腹せずに生きていたんじゃないかなあ、と思った妄想の産物。
そのおかげで死ななかった三成がしばらく大谷さんから引き離されたら、それはもう死ぬ以外考えられないんじゃないかなーと思って。