浮かんだ感情に蓋をしろ
(気付くな、思うな、忘れてくれ!)


 畳に押しつけた身体は、思っていたよりも華奢だった。ぎり、と背に無理やり回させた右腕に力を掛けようとすると、思っていたよりも細く柔らかい。入れ掛けた力が少しだけ抜ける。折って使い物にならなくしてやろうと思っていたのだが、折るのは気が引けた。

「えーっと……」

 折ろうと思った……思って、いた。けれど、この腕は想定外である。華奢で、ふにゃりと柔らかな腕。女性の、腕のような。
 不審そうな、噛み付くような目でこちらを振り返って睨んでいる独眼竜。右目はいつものように、当然のように隠されていたが、何かを渇望するようなぎらりとした眼は片目でも際立った。……むしろ、隻眼だからこそ、その強い瞳が際立つのかもしれない。

「ちょっと質問しても良い?」
「今にも腕の一本葬れる状況で質問か」

 独眼竜は、台詞に「呆れるな。殺るならさっさと殺れよ」と言外に含ませていたが、そんなことに気は揉まない。勝手に肯定と取り質問をした。

「アンタ、独眼竜の影武者?」
「Ha? 何が言いたい?」
「いや、明らかに男の腕じゃないから」

 思ったことを正直に言うと、独眼竜は眉を寄せた。苛立ちに染まる顔。その目は、「何当然のことを尋ねるんだ」と言わん許りに揺れていた。そんなのもわからないのか、と、言われた気がした。

「俺は伊達政宗本人だ。先の戦でも、影武者は立ててねぇ」
「いや、俺様の知ってる独眼竜伊達政宗は女じゃないって」

 そう告げると、独眼竜はついと視線を逸らした。そして、呆れたように息を吐く。

「真田忍隊の長って割りには鈍いっつーか、頭回らねーな」

 武田は暑苦しいくらい体育会系だし、頭も使わなくなんのか? 雇主に似るたぁ、狗も大変だな。
 浅く嗤われ、一瞬頭に血が上りかける。しかし、自分が自由を奪っている腕はそれを制する。落ち着け、と、ささやくのだ。
 そっと逆の手で背中を辿ると、男のものとは思えない柔らかさがあった。しなやかな、女特有のもの。男では到底真似できないような、筋肉の付き方。
 先ほど考えた、独眼竜の影武者説は当人が否定した。ならば、残る可能性はたった一つしかない。

「伊達政宗は、おん、な──?」

 震えた。声が面白いくらい震えるのが自分でもわかった。
 空気が動く。独眼竜が嗤ったのが空気から伝わる。

「That's right. だが答えを導くまで随分かかったな」

 だってそりゃ、こちとら伊達政宗は男として認識してたからね! 突然にそれを根底から覆されて、結論を早く導き出せるはずないだろ、常識的に考えて! ……殴り合う師弟に仕えてる俺様が言うのも何だけど。

「だって、アンタが女だなんて」
「別に今のご時世女武将も女城主も珍しくねぇだろ」

 そう。確かに、珍しくはないのだ。女武将も、女城主も。しかし、奥州を平定するほどの大きなことを遂げた大名が女というのは珍しい。というより、俺は初めてその事例に出会った。
 ……そもそも、今まで男として通っていた有名武将が女だった、というだけで結構な衝撃だ。

「そりゃ、珍しくはないけどさぁ」
「なら良いじゃねぇか。それとも、女には刃を向けれねぇとでも言うか?」
「……それはない、ね。戦う覚悟が出来てる者なら、老若男女問わず討つよ」

 きっぱりと告げると、奴はけたけたと少年のような、けれどどこか女らしさを匂わせるような笑いをあげた。

「良い覚悟だな、忍。そういう奴は嫌いじゃないぜ」

 そうは言ったが、何故か俺には殺せないような気がしていた。戦に参加している以上、戦場にいたことがある以上、こいつが『死』を覚悟しているのは当然なのに。……どうしてか、殺せる気が全くしないのだ。
 何だ、この感情は。こう、胸の中を覆い隠して侵蝕するような、強い毒にも似た──。

「政宗様。宜しいですか」

 襖の向こうから、独眼竜の右目の声がした。今、この腕を折るのも、これ以上触れているのも、叶わない。
 緊縛していた腕を放し、素早く屋根裏へと引っ込む。独眼竜は緩々とした動作で体を起こして、「なあ、武田の忍」と、天井越しに俺を見ていた。

「――次会った時は、本気で殺り合おうぜ。互いにな」

 それだけ言うと、やんわり座り直し、「OK. Come in」と気怠げな声で言っていた。

「失礼致します」

 す、と襖が開く。視線をそちらにやる独眼竜と目を合せ、右目は息を吐いた。

「政宗様──」

 名を呼んだだけ。それだけだったけれど、その声色には色々なものが籠っているのだろう。俺にはわからないけれど、会話は成り立っている。どうしてか、それ以上見ているのが嫌で、俺はそこから音も無く消えた。
 もし、あの姿を戦場で見掛けて、俺は今までと同じように接せるのだろうか。殺し合おうと武器を振り翳せるのだろうか。答えは否。理由は、何故かかすかに赤らんだ頬だけが知っている。忘れなければ。こんな感情、捨てなければならない。
 ──忍に、恋や愛なんて、必要ないのだから。





write:2007/03/10
up:2007/03/11
サスダテの女体化もやってみた。
やはり女体化するならサナダテかなぁって気分。
畳に押しつけられても動揺しなかった訳は、この状態ならまだ勝機はあると踏んだから。
そこまで女ということを武器にはしてませんよ。