アンバランス


「あ、雨や」

 つこみが虚空を見上げながら小さな声で呟いたのと同時に、俺の頬にぴちゃりと水が降ってきた。
 灰色の雲で嫌な予感がするとは思っていたが、こう帰っている最中に降られるとは思ってなかった。なんて悪いタイミングだ。……傘なんて、持ってきていない。
 急いで帰るか、と思っていたところ、つこみに右腕をついと引かれた。

「どうした?」
「雨すぐ止むやろうから、雨宿りしていかへん?」
「……そうだな」

 つこみに引っ張られるまま、寂れた駄菓子屋の店先で立ち止まった。
 弱いながらもぽつぽつと降り続ける雨。水を吸って少しだけ重くなったワイシャツが煩わしいと思った。
 今日はどこのバイトだったかな――なんてぼんやり考えていると、後ろから妙にはしゃいだつこみの声が聞こえてきた。

「うわっ。どえらい懐かしいもん置いとるなぁ!」
「はしゃぐなよ、見っとも無ぇだろ」
「こんまい頃、こないなのよう食わへんかった?」
「人の話聞け」

 懐かしいだの何だの色々言いながら、いつの間に持ったのか小さな籠にひょいひょいと駄菓子を幾つか放り込んでいくつこみ。
 俺はその隣りで小さく溜息を吐きながら、その様子を見ていた。
 こいつがこうやっていると、本当に高校生なのかいまいち疑問に思う。小学生のように見えてしまうのだ。
 ……まあ、それだと流石に申し訳無いから、中学生に見えるということにしておこう。
 自分の中の何かに言い訳していると、つこみがぐるり振り返って細長い袋を俺のほうにずいと押し出してきた。

「これ初めて見るんやけど美味いん?」
「いや、俺も初めて見るからわからねぇ」
「なしてボーはカタカナなんやろうなあ」
「知らん」

 気になるやさかい、買うてまお。二十円やしな。そう言い、つこみはひょいとその駄菓子を籠にふたつ放り込んだ。そして店の奥の方へ小走りで駆けていった。
 まあ、本当にこんな場所に来るなんて久し振りだよな、と考えながら周りを見回す。
 大分昔の記憶がよみがえりそうになって、俺は頭を振った。辛い記憶なんか、思い出さない方が気楽なのに。

 ふと入り口のほうに視線をやると、日が差し込んでいるのに気付く。
 通り雨みたいなもんだったのかと納得し、つこみもすぐ気付くだろうと思い、店の外へ出た。
 憎々しいほど晴れた青空に、先ほどまでの灰色は欠片も見えなかった。

「……嫌がらせかよ」

 あのタイミングだけ降るなんて、嫌がらせ以外の何物でもないと思ってしまう俺は、穿っているのだろうか。
 はあ、と溜息を吐くと同時に、背中をばあんと大袈裟な音で叩かれた。
 痛みはあまり無かったものの驚いて振り返ると、眩しいとすら思えるほどの笑顔を湛えたつこみがそこにいた。
 その笑顔に、怒ろうとしていた気も削がれてしまった。

「満足したか?」
「ああ、満足や!」
「良かったな」
「ありがとさん」

 どちらからともなく歩き出す。
 数歩歩いたところで、つこみが「あ!」と叫び、ぐるりと俺の方を振り向いて何かを投げて寄越してきた。
 寸でのところでそれをキャッチして、袋に書かれた文字を読む。……あんずボー。さっきのあれか。

「それノマルにやるわ」
「……不味かったらどうすんだ」
「我慢してや」
「じゃあとりあえず貰っとく。サンキュ」
「おう」

 そのまま道すがら話していると、いつも通る十字路に差し掛かる。そこでつこみとわかれ、家に帰った。

 シフトが入っている時間まであと四十分。急がないと間に合わない。俺は上着を脱いだところで、つこみから貰ったあんずボーの存在を思い出した。
 ……このままにしてたら忘れてしまいそうだし、食べておくか。そう呟いてから口でその袋を開けると、シロップが口の中に流れ込んでくる。

「甘……」

 甘ったるさが広がって、俺は、不似合いなそれを食べたことを後悔した。





2006/01/11