渺々たる絶望の海をたゆたう


「あー会長、ぐっちゃぐちゃだな?」

 からかうような口調で、皆人は笑う。

「誰のせ、っ、あ」
「ん? 何か言ったか、」

 涼やかな声で、皆人は誉を揺すぶる。暴れるから、と乱暴に縛り付けたキャノンのコードが誉の皮膚をじりじりとこすり血を滲ませた。がくがくと歯を鳴らし、誉は頭を過振る。
 逃げたいけれど逃げられない――状況と刺激とが、誉を追い詰める。

「――ぁあ、っ」

 長時間寝ていたわけでもないのに、幾度も揺すぶられる所為で床擦れした背が痛む。いっそ意識をなくしてしまえれば楽だろうか、と誉は白んだ思考の隅で考えた。
 体はとことんまで苛まれるだろうが、心ぐらいは守れるかも――

「気絶なんかさせてやらないよ」

 誉の思考を読んだのか、皆人は口に軽薄な笑みを浮かべたままそう告げた。そして指先で傷跡を汚すようになぞり、誉の自尊を削って行く。誉は唇をかみ締め涙を飲み込み、呪詛を吐く。

「……犬の、くせに――ッん、あ」
「ハイハイ、その犬に突っ込まれて喘いでるのはどこの会長サマかな?」

 揶揄する口調は、驚くほど底抜けに明るかった。誉を見下ろす目に温度はなく、ただ氷のような冷たさだけが湛えられている。
 誉は視線を伏せ、消え入りそうな声で、「犬のくせに……」と、もう一度だけ呟いた。





2008/05/05