絡む指の温かさ


 さっきまで、飼っているウサギを構っていたと思ったら、それにも飽きたのだろうか。誉さんはつまらなさそうに、ぽふ、と柔らかそうな音をたててベッドに倒れこんだ。誉さんのウサギ(なんて名前だったっけ? べこ餅?)は、飼い主の気紛れを気にも止めず、保険医の机のほう、日当たりの良いところに移動して眠り始めた。
 きっとこんなことよくあるんだろうな。この人は妙なところで強情なのに、物事を諦めるのが早いから。

「誉さん寝んの?」
「寝はしません」
「……じゃあ、何すんの?」
「何も、しません」

 誉さんはそう言って面倒臭そうに体を布団の中に埋めた。ちょっと待て、寝ないんじゃなかったのか? と思い、誉さんにそう言おうとした瞬間。
 誉さんが寝返り――寝てないけど――をうって、俺のほうを向いた。要するに、誉さんが俺を見上げるような形になるから、いわゆる……上目遣い。心中穏かじゃない俺自身をゆっくり静めながら俺は息を吐いた。

「結局寝るんすか」
「寝ません。寝転がってるだけです」
「まーた屁理屈言って」

 けらけら笑って誉さんの頬っぺたを突付いてみた。ぷにぷにしてて良い触り心地だ。だが、誉さんがそう触られていて黙っていてくれるわけがない。すぐに、焦ったような誉さんの声が俺の耳を振動させた。

「な、何さしてんですかあんたー!」
「頬っぺた触ってる」
「ああもうそういうこと聞いてんじゃないです」

 誉さんが呆れたように息を吐いた。そしてまだ頬に触れようとする俺の指を手でぱちん、叩き落とすとまた溜息を誉さんは吐く。行き場を失った俺の手を、まあそのままベッドから下ろすのも勿体無いなんて思って、まだ蒲団から出ていた誉さんの手に触ることにした。
 また、誉さんの驚いたような焦ったような声は俺の鼓膜を振動させる。その振動は甘味が孕んでいるような、そんな錯覚を憶えた。

「一度ならず二度までもほんとあんた何さしたいんですか」
「いやちょっと手相見たいなーと思っただけ」

 ダメっすか? と問い掛ければ、好きにすればいい、と返事が返ってくる。「じゃあやらせてもらいまーす」と軽く言い、俺は誉さんの手をまじまじと見た。
 誉さんは中学の時、吹奏楽をやっていたという(フルートとかいう楽器をやってたんだそうだ)。この手からは、きっと繊細な音が紡がれていたに違いない。……音楽的な受け皿が一切無い俺が言うのもなんだが。
 手に描かれる線の中で最も有名なであろう生命線をなぞってみた。意外と長い。予想外だ。「生命線長いから長生きー」とか判断して良いのかわかんねーから何も言わないけど。感情線とかいう線をゆっくり人差指でなぞると、誉さんがびくり反応した。

 ……やっぱ手だけ、よりこっちのほうが良い。

 まあきっと誉さんは怒るだろうけれど、まあそれは俺の前で寝転がった誉さんの責任ってことで。言い訳を準備しつつ、俺は誉さんの手をそっと放した。意外そうな目で俺を見上げる誉さんを見下ろして、俺はその顔の両横に手をおいた。
 誉さんの目が驚いたように見開かれる。

「据え膳食わぬは男の恥……だっけ?」
「はっ!? ちょ、あんた何すんですかダメですよ絶対だめですそったらこと」
「聞こえません」

 耳元で囁いて、耳朶を軽く甘噛みしてみた。案の定、誉さんの体はびくりとはねて、顔は真っ赤に染まる。……まるで林檎みたいだ。
 林檎って確か善悪の知識の実なんだよな? じゃあ何か? 俺は林檎を喰べて堕とされたアダムってとこ? まあそれも上等。誉さんと一緒に居れんなら別にどこだって良い。

「ま、そーいうわけで。イタダキマス」





2005/05/19