見えない、けれど通じる


「あ、誉さん? 明けましておめでとー」
『……新年早々。なんですか』

 電話の向こう側で誉さんが顔を顰めているだろうことが容易に想像できて、俺は口許だけで笑った。
 カツン、と爪か何かで受話器を弾く音が響いた。

「ちょ、それ嫌がらせ?」
『あ、わかるんですか』
「ひでぇ。俺はしばらく会えなくて淋しいからこうやって電話してるのに」

 そう告げると、誉さんがぴたりと動きを止めているのが電話線越しに通じてきた。
 電話って想像力研かれるな、なんて思いながら俺はまた言葉を続けた。

「3年が自由登校になってから会ってないじゃないですか」
『……そういえば、そうですね』

 「あまりにも気楽で気付かなかった」と続ける誉さんの声が、会わなくなる前そのままで、俺は少なからず安堵した。
 生徒会長という役職を譲り渡し、3年が自由登校となり。全くと言って良いほど、誉さんの姿は見られなくなった。喫茶アイズに行けば会えるだろうと高をくくっていたのだが、しかしそこでも会えなかった。
 誉さんの祖父さんが言うには、センターに向け勉強しているんだそうだ。誉さんが大学に行こうとしていたとは知らず、俺はそこで衝撃を受けた。

「誉さんは、淋しくなかった?」

 急にぞくと寒さが背筋に走り、俺はほんの少しだけ縋るように誉さんに問い掛けた。
 ほんの一瞬走る静けさが、何故か酷く怖かった。

『淋しかったと言ってほしいんですか』
「できれば言ってほしいかなー」
『なら絶対言いません』
「言ってくれればいーのに」

 わざと軽薄な口調で言う。
 自身を取り巻く恐怖を、じわじわと自分を侵蝕する恐れを、気付かれたくなくて。

『……こっつぁがねごど言ってないでください』
「えー? くだらないっすか?」
『……多大に』

 呆れたような声で切り捨てられる。
 そうして、一拍の間の後に誉さんがしみじみと呟いた。

『……わらしこみたいですね』
「はあ? 俺のどこが?」
『そうやって、おっかねがってるとこですよ』

 後頭部を、鈍器で殴られたような衝撃がした。
 脳髄が揺す振られ、パンチドランカーになりそうだ、と考えているもう一人の自分がいる――。

『何をんだなにおっかねがってんですか』
「……多分」
『多分?』

 すうと息を吸う。そして、小さく呟いた。誉さんにも届くか届かないかの大きさで。

「怖いのは」
『……』
「誉さんに置いてかれること」
『はあ?』
「誉さんはさ、もうすぐ卒業するけど。俺はあと2年はこんな切り取られた毎日を過ごす」
『年が違うんだから当然じゃないですか』

 誉さんがそう相槌を打つが、俺はその言葉を否定する。
 ああ。どうして俺は誉さんと同じ年に生まれなかったのだろう。誉さんはどうして俺と同い年ではないのだろう。どうして、だろう。

『……らしくないですね』
「……そう?」
『悩みなんてまっさらないような能天気が売りじゃにゃーですかアンタ』

 はあ、と電話越しの溜息が聞こえた。その聞きなれた音が、優しく俺に溶け込んでいく。――言っていることが優しいかは兎も角。

『……置いて行ったりなんてしません』
「え」
『そもそも、アンタ、置いていかれたからといってその場で燻ってるようなタマですか』

 地の底まで追っ掛けてきそうじゃないですか。呆れたようにそう呟く誉さんに、俺は面喰って数回瞬きをした。
 そして、背筋に走った寒気が、じんわりと解けて、温かくなっていくような感覚がした。

「……そーっすか?」
『どう見ても』
「そっか」

 何と無く嬉しくなって、静かに頷く。
 その静寂がさっきとは違って辛くなく、俺は胸の奥で誉さんの言葉を噛み締めた。

「誉さん?」
『何です』
「好きだよ」
『……っ、』

 ああそうだ。俺はこんな風にしている方が、割に合う。

「今年も宜しくお願いシマス」
『……こちらこそ』

 見えない誉さんに、心から礼をした。





2006/01/02