素直になれれば苦労は無い


 ポケットに財布だけを突っ込んで、ふらふらと道を歩いた。暑い。あまりにも暇だったが故の散歩だったのだが、夏の炎天下、どうして散歩になんか行こうという気になったのか、ひじょうに気になる。暑さで沸いているのか俺の頭よ。
 一度家から出た以上は、何かをしなければ勿体ない気がして、とりあえず歩く。ひたすら歩く。
 そして何時の間にか、気付いたら辿りついていたのは、誉さん家の喫茶店だった。どうして誉さん家なんかに来ちまったんだろう、と思いつつも、俺の脳内ではもんもんと空調の効いた心地のよい空間で優雅にコーラをすする自分が流れていた。
 あー喫茶店。誉さん家だということは置いといて。もしかしたら、あの人は、残念なことにいないかもしれないし。
 そこまで考えて、はたと気付いた。「……残念なことに?」なんて、どうしてそんなこと、思う?
 一瞬自分が良くわからなくなったが、とりあえず暑い。涼みたい。そんな軽いつもりで店の戸を押し開ける。からんころんと、軽い音。

「いらっしゃいま――なっ」

 何所となく甘いよう(ただ、俺がそう感じるだけなんだろうとも思うが)な、そんな響きを持った声が耳を揺らす。そちらに視線を向ければ、案の定、そこには誉さんがいた。

「や、山狐、どうして」
「んー、暇だったから?」
「山狐なら狐らしく山奥で木の実でも食っててくだしー」
「うわ、客に向かってヒデー物言いですね」
「山狐を客扱いなんて出来ません」

 何やかやといいながらも、誉さんはカウンター席の一番奥に案内してくれた。案内している最中も、延々と色々言われ続けたのは言うまでもない、が。
 そして椅子に腰掛けた瞬間、ぽいと手の上にメニューが落とされた。……この人客商売できんのか? と、純粋に心配しそうになったが、多分、こういう態度になるのは俺に対してだけなんだろう……。嬉しいような悲しいような、複雑な気分だ。
 溜め息を吐こうとも思ったが、誉さんの視線がじっと俺から外れなくて、胸の中で小さく息を吐いてから、メニューを開いた。いつもはホットコーヒーを頼む(正直、甘すぎるものは苦手だ)が、この真夏日にそれを飲めるほど我慢は得意じゃない。全体を見渡して、水出しアイスコーヒーとかいうものを指差して注文する。こんなハイカラなものを頼むのは、正直初めてだ。

「はいはい、かしこまりました」

 気のない返事をして、誉さんはメニューを俺の手から引っ手繰る(も少し優しくしてくれたっていいのにと常々思う)。
 俺から離れていく背中をぼんやりと見つめる。俺なんかよりよっぽど小さくて、華奢な背中。すぐに奥に引っ込んでしまって、ずっとは見ていられなかったけれど。
 んでもってしばらくして。
 ごとんと、この世のものとは思えない異形が、俺の前におかれた。

「……誉さん」
「なんですか」
「これ、何?」

 そう問うと、誉さんは一拍の間を置いた。

「『ゴーヤと納豆のパフェ』。山狐はこんなもん食べてれば良いんだべした」

 こ、この男、俺にメニューを尋ねたくせに、ゴーヤと納豆のパフェとかいうとんでもないもん出しやがって下さった!!
 非難するような目で誉さんを見つめたが、誉さんは特に意に介せず、「食べないんですか」「アイスが溶けますよ」と俺を急く。仕方がないので、溜め息を飲み込みつつ、パフェの方に視線をやる。――生クリームの白とゴーヤの深緑、そして納豆の茶色のコラボレーション。……味なんて想像つかない。所謂「珍味」のようなもので美味しいのだろうか。
 と、思って特に疑わず口に含んだ俺が馬鹿だったのか何なのか。えぐい渋味が口中に広がって、俺は一瞬眉を顰めかけた。
 その瞬間、多少期待したような目で、誉さんがこっちを見ていることにきづいた。

 ――くそ、こいつ、俺に不味いモン食わして、俺をいじめようとか困らせようとか、そんな魂胆か!! 苛めっ子め!

 それを脳内が理解するのと同じ、俺は必死になって表情を繕った。誉さんの狙った通りになってたまるか、という思いが胸を占めている。無理矢理ゴーヤのえぐみを掻っ込んで、一息に食べ尽くす。そして、笑顔で言ってやる。少し歪んでるだろうけど、気にしない。

「うまいよ」

 誉さんの表情が、微かに変わった。その表情は、どんな風に説明すれば良いのかわからない、複雑なもの。けれど、その表情にさせたのは俺なのだと思うと、ほんの少しの優越にも似た感情が、湧きあがるようだった。
 好きな相手のペースを、少しでも狂わせることができたなら、それでいいやと思えるなんて、暑さでやっぱり俺の頭は沸いているに違いない。

 うん。そうに違いない――と、言い聞かせる。





2007/07/26