落ちるのはほんの一瞬で、
「ほ、まれ、どの、」 赤子が覚えたての言葉を使うようなたどたどしい言い方で、すんきは誉の名を呼ぶ。ともすれば幼稚に聞こえるその声には、吐息と欲の残滓とが見え隠れした。 手馴れた様子なんて一切見せない、けれど、どこか追い詰めるようでつたない愛撫は、誉をゆるやかにせめたてる。 どこか霞がかかって、霧散してしまいそうになる思考を手繰り、誉はけなげにも自分の殻をひたすら守ろうとする。散り散りになりかけた考えの中から答えを探し、拾おうとするたびに、すんきの指や唇の感触に邪魔されてしまう。与えられる刺激に耐えるだけで精一杯で、「何故こんな状況に立たされているのか」という問いの満足な答えすら、得られない。 ――きっかけはほんの些細なこと。売り言葉に買い言葉、というと言葉は悪いけれども、まさにそんな感じで。「こいつにそんな甲斐性はないだろう」、「そんなこと出来るはずもないだろう」……と高を括っていた誉が、からかい目的ですんきもろとも保健室のベッドに傾れこんだのが原因、と、有体に言ってしまえば、ただそれだけのこと。「ここまでされたって、どうせアンタは手のひとつも出せないんでしょ、」と言いかけた唇を、ぎこちない動作でゆったり塞がれて、――それから、そのまま、おちるように。 どうにかして逃れよう、と引けた誉の体を、元スポーツマンらしい筋肉のついた腕が捕らえ、引き寄せる。「あ、」堪えきれずに、誉の吐息がこぼれた。 「駄目に、ござる」 身を捩って頭を振る誉に、すんきの切羽詰ったような忍び声がおりてくる。 「拙者、ここでやめることは、出来ぬ」 切なさすら感じさせる響きが誉の脳に届くのとほぼ同時に、すんきの唇が鎖骨の下に落とされた。薄い色の痕跡を残して、唇は離れていく。 困惑と快感の狭間で揺れる誉の瞳が、ゆるゆるとすんきの目に焦点を合わせた。熱っぽい目と、視線が交わる。 諦めたような短い溜息のあと、誉は腕を伸ばし、すんきの首の後ろに腕を回した。 「……痛くしたら、もう二度と、しませんからね」 微かな恋情と八つ当たりを滲ませて、誉はすんきの肩口の辺りに噛み付き、自身の腕に込める力を強くする。 ぎしり。パイプベッドの軋む音が、二人の息遣いで満ちた放課後の保健室に響いていた。 2008/09/28 |