背中越しに見えたもの
お題:「後ろからイチャイチャしようと試みる及影」
「やっほー、とびおちゃん。待った?」 後ろから掛けられた声に、意味もなく携帯の画面を見ていた顔をあげる。俺を待たせていた及川さんは、見慣れたいいかげんな笑顔を浮かべて俺の前に立っていた。 はい。15分くらいですけど。と返答し、携帯を鞄に捻じ込みながら立ち上がる。 「……そこは、『全然待ってません』とか言うとこでしょ」 「知りません。待ったもんは待ったんです」 「まー可愛くない」 「及川さんに可愛いって言われても嬉しくないです」 待たせた罪悪感も何も無いのだろう、及川さんは俺の非難の目を気にした様子もなく「じゃあいこうか」と歩き出すので、俺はしぶしぶその背を追うことにした。 及川さんは、いつも俺の前を歩く。バレーのスキルという意味でも、セッターとしての技術についても――そして、こうやって二人で会っているときでも、及川さんは俺の数歩前を歩いている。 たぶん本当は、俺が及川さんに数歩遅れているというのが正しいのだと思う。 三年前に及川さんと初めて会った頃よりは俺にもバレーの技術が身についたが、及川さんもレベルアップしているからスキル差が埋まった気はしない。 数歩先、俺よりも数センチ高い頭を見上げて、そのまま、ぴんと伸びた背中の真ん中を見つめる。あの頃は、周囲に目を向けることをせずに、「追いつけない」「追いつきたい」と、がむしゃらにこの背ばかり追っていた。言うなれば、及川さんの背は憧れの対象だ。そう、それは、今でも。 ――その背が、触れられる距離にあるのは、どうにも不思議な感覚がした。 背中を見つめながら、三歩離れた距離を保って及川さんを追う。そういえば、これからどこに行くのか聞き忘れたな。どこ行くんかな。及川さんを追いながら、しずかな住宅街の緩やかな坂をのぼる。この道はあんまり通ったことねえな。及川さん、どこ向かってんのかな。 「トビオちゃん」 呼ぶ声に、緩慢に顔をあげる。半身だけ振り返った及川さんが、じっと俺を見ている。 「何ですか」 「それ俺の台詞だよね。――何でそんな離れてんの」 もっと近く歩きなよ、と及川さんが手招きした。なら、と一歩だけ及川さんに近寄れば、及川さんは笑顔のまま片眉だけを上げるという随分器用な表情をした。剣呑というほどではないが、あんまりいい印象の無い表情だ。 「飛雄」 及川さんはその微妙な表情のまま、微かに棘のある低い声で俺の名前を呼んだ。この音で呼ばれると、ぴりりとした緊張感が走って、微かに息が詰まるような感覚がしてしまう。 及川さんの目と声から逃げるように、視線を彼から逸らした。 「こっちに来いって言ってるでしょ」 「……いやです」 街路樹の葉を見つめたまま返す。春よりも濃い色の葉が風に揺れていた。及川さんのほうを意識しないよう、「生ぬるい」とか「これからもっと暑くなるな」とか、余計なことをぼんやりと考えてやり過ごそうとすると、及川さんの溜息が聞こえた。ちらりと視線を遣ると、振り返りかけてた及川さんが再び前を向いてしまうのが目に入る。 自分から近付くのを拒否したくせに、及川さんから滲む拒否のようなものを感じて少しだけちくりと胸が痛んだ。俺も大概馬鹿だな、よく言われるけど。自分も小さく息を吐いて、及川さんに続く。 さっきより近付いたからか、手を伸ばせば触れられる距離に及川さんの背がある。 す、ときれいに伸びた背筋。きっと、及川さんの背骨を横から見ると、理想的な姿勢とされるS字を描いているんだろう。 きれいで広い背中だ。 でも、あの時に見て追っていた背中の方が「広い」と感じた気がするのはどうしてだろう。及川さんの背は勿論、バレーのスキルだってあの時より今の方が高くなっているはずなのに。 サーブレシーブなり何なりで痛めつけられた記憶もそう少なくはないが、彼のセッターとしてのあり方はひたすらに眩しくて、追いかけ続けたものだった。 俺も、少しは及川さんに近づくことができたのだろうか。この背のような存在に、少しは――。 「なーにとびおちゃん、やっぱ甘えんぼ?」 及川さんの言葉に、ぼんやりと意識を取り戻す。 振り返った及川さんは、口の端を吊り上げて楽しそうに笑っている。なんで、と思うよりも先に、俺の手が及川さんの背中に触れていることに気付いた。背中の真ん中より少し左側、肩甲骨の近く。やわらかい質の良い筋肉の感触だ。 「えっ!? ち、違います!」 「え、違うの? 俺に触りたかったんでしょ?」 あながち間違ってもいないだけに、「ちがいます」とも言えずに、口を噤んで及川さんの背から手を離す。 「――仕方ない。この及川さんがとびおちゃんと手を繋いであげよう」 わざとらしい演技がかった声が耳に飛び込んでくるのとほぼ同時に、引きかけていた手をつかまれた。 「えっ」 「ほら。飛雄、行くよ」 そのまま俺の右手を引いて、及川さんは歩き出す。引っ張られるように歩きながら及川さんの方を盗み見ると、彼の耳輪がかすかに赤くなっていることに気付いた。……じわりと、胸が震える。 前を見たまま、俺の手を引いて歩く及川さんは、俺の顔がかつてないほどに熱いことを知っているのだろうか。 ……及川さんのことだから、たぶん、これくらいわかってるか。 考えて、及川さんの手を握り返す。顔の赤さに負けない、熱い手だった。 write:2013/06/22 update:2014/03/15 (first appearance in twitter:2013/06/29) アニメ放映前にサイトにしまって置こうと思って引っ張ってきたその2。 この及川はとびおちゃんにこういう態度を取りながらも、腹の内では優越と劣等の間を揺れ動いてごちゃ混ぜなのです。 飛雄ちゃんは他者の機微にはにぶちんなので気付かないので、飛雄視点のこの作品では一見爽やかになったね。気付くか否か、ってコワイ! |