安寧のブラック


 パトロール中に発見した黒猫をゆるゆる撫でる。黒猫の咽喉を指先でなぞれば、ごろごろと甘えるような声をあげた。

「貴様、飼い猫か」

 咽喉を辿る指先に、首輪の感触が触れた。ちりん。澄んだ鈴の音が鳴る。触れる毛並みも随分と整っている。家では大層可愛がられているに違いない。
 撫でていた指を止めると、もっと撫でろと言うように、黒猫は青い隊服越しに脚に擦り寄る。わかったわかった、とぼんやりと口に出しながら再び撫でてやれば、猫はにゃあと心地良さそうに鳴いた。
 ここ最近は、ダンジジャーとしての活動中の方が猫に触れる機会が多いように思う。恐らく、パトロールだの何だのと外に連れ出される機会が多いからだろう。団体行動も他人に自分のリズムを崩されるのも、どちらも好まない私には何とも面倒な話である。誰にも干渉されないならいざ知らず、一人無駄に苦労を背負い込む節介焼きが――

「こんなところにいたのか、葵」

 慣れた声が聞こえ、私は思考を止めた。黒猫を撫でる手を休めずに、首だけで振り返る。その先には、やはりというべきか案の定というべきか、黒ノ介がいた。
 パトロール中にふらりと居なくなる私を追いかけたり探したりするのは、基本的に黒ノ介だけだ。他の奴らは、私が何だかんだ最終的には戻ってくるのだということを(無意識有意識どちらにしろ)承知しているから、ある程度は私の個人プレイを黙認する。……たまに翠はうるさいが、近くにいる時にうるさいだけだ。居なくなった私をいちいち探し出してまで騒いだりはしない。いや、探そうとして見つけられず迷子になるだけかもしれないが、どちらにしろ私が一人猫を追うのを追ってくることは無い。
 稀にヒヨコが探しに来ることもあるが、それはワルカーが出ただの何だのとそれなりの理由がある。だから、特に理由も無く――心配だから、と言い訳じみた文言を伴って私を探すのは、今そこにいる黒ノ介くらいだ。
 やっと見つけた、と黒ノ介が安堵の息を吐くのをぼんやりと見つめてから、猫に視線を戻す。自ら頭を手に擦り付けてくる猫の頭をやわやわと撫でていれば、黒ノ介が近付いてくる気配を感じる。聞きなれてしまった足音。

「……また猫か?」
「ああ」

 黒ノ介の問いに無感動な肯定を投げれば、奴は溜息を一つ落とし、「本当に猫が好きだな」と呟いた。別に猫が好きというわけではない、と返そうかとも思ったが、いつも似たような問答をしているような気がしたので、何も言わないことにした。私のすぐ後ろで立ち止まった黒ノ介は、私の手元の先、ごろごろと咽喉を鳴らす黒猫を見下ろしているのだろう。
 ふう。息を吐いて黒猫から手を離せば、黒猫の碧眼が咎めるように見上げてくる。

「もう終いだ。邪魔者が来たからな」

 そう告げて立ち上がる。黒猫は私が立ち上がるのを見あげ、同じように身を起こした。黒猫が身を翻し木々の向こう側に消えて行くのを見送っていると、黒ノ介は溜息混じりに私に声をかける。

「邪魔者って……葵、お前なあ」
「あながち間違いでもないだろう」

 ぱんぱん、と袂についた毛を掃いながら振り返れば、黒ノ介は苦笑しながら「ほら、葵。一緒に帰るぞ」と私を促した。言われなくても――いや、そもそも迎えに来なくともきちんと本部には戻るのだが、黒ノ介はそうは思っていないのだろうか。
 ……まあいい。
 ああ、と気の無い相槌を打ちながら、黒ノ介の後を追って歩き出した。

「……あ」

 ふと、塀の上に惰眠を貪る二毛猫が居るのに気づいた。歩みを止めるとまではいかないが、速さを緩めて二毛の尾をぼんやりと視線で追いかけた私の右手首を、振り返った黒ノ介の左手がやんわりと捕まえた。思わず眉間に皺を寄せて黒ノ介を見上げる。
 6センチ差は、定規で見るよりもよっぽど遠い。

「今日は、もうダメだ。散々さっきの黒猫を触っただろう」

 それだけ言うと、黒ノ介は私の反論も返事も待たずに歩き出した。少し遅いくらいのペース。高く結い上げられた黒ノ介の髪が揺れる。私の水引に結ばれた尾の様な髪先も、似たように揺れているのだろうか。
 この無駄に苦労ばかり背負う黒ノ介の甲斐甲斐しいまでの世話を、少し鬱陶しく思いつつも受け入れてしまっている辺り、私は相当に絆されているのか、或いは――。
 内心のもやもやとした感情には気付かない振りをして、私の手首に触れる黒ノ介の温度を辿る。……あたたかい。
 ――ちりん。遠くで、あの黒猫の鈴の音が、鳴った。





write:2011/11/10
up:2011/11/14