■ 囚(結界師・正守×限)

 今だから言いますが、俺は裏会のために戦ったことなどありません。
 ああ、すべては頭領のためだけで。頭領が俺を必要としてくれていたからここに存在していたのだと言っても過言では無く。
 限、と俺を呼ぶあの声があったから、俺はずっと戦い続けた。
 認めてくれるあの存在があったから、俺はずっとここに居続けた。
 ただそれだけだった。その存在だけが俺が居る理由だった。俺の居場所は、彼の居る場所――それだけで良かったのだ。
 頭領に必要としてもらい、任され、信用され、頼りにしてもらえた。――ただそれだけで満足。
 俺は、これで十分だ。

 2005/12/28


 ■ 縋(良守×限)

「志々尾、」
 掠れた声が呼ぶ。呼び覚ます。かすかな困惑と、憐憫と、哀れみとが呼び起こされる。
 縋るように背に回された腕にこもる力が強くなった。
「……す、きだ」
 ぽつりと絞り出された声に、瞑目する。てっきり嫌われているのだろうと思っていたから。――こいつにだけじゃなくて、全ての人から――
「……志々尾ぉ」
 震える声。強く縋る躯。
 制服の肩に、ひとつの雫が落ちるのを見た。
「……行くな……」
 視界の端に、ぐしゃり拉げたコーヒー牛乳の紙パック。
 こいつを押し返そうとした俺の右手は、何故か空を切った。

 2006/01/08


 ■ 痕跡(良守×限)

 しんとした寒々しい静けさに満たされた部屋は、予想以上にがらんとしていた。物がなく、必要最小限とすら形容できない。卓、蒲団、冷蔵庫。見つけようと見渡しても、それ以外に生活を感じさせるものがなかった。台所には使用された形跡がない。冷蔵庫の中身もほとんど空っぽで、唯一入っていたのはミネラルウォーターのペットボトルだけだった。
 制服がハンガーにかかっているが、それ以外の服はダンボールの中に煩雑に入れられている。ごちゃごちゃとしたその中から、漸く生活感のようなものを感じられた。
「志々尾」
「……何だ」
「不便じゃね? さすがに物無さすぎるだろ」
 合わせようとしていなかった目が一瞬だけ俺を見て、ふいと視線が外される。
「余計なものは邪魔なだけだ」
 ひやりとした何かが背に通うような気がした。
「任務が解かれれば、」
 物が有るか無いかというほんの少しの差があるだけで、今あるのと同じ寒々しさに満たされた部屋。容易に彼がいなくなった後のことが想像できて、ぞっとした。
 ――もう、聞きたくない。未だ続いている言葉に、耳を塞いでしまいたかった。

 2006/01/28


 ■ 亡声(良守×限)

 思い出せない。
 あいつ、どんな声で話してた? どんな話し方だった? あのとき辛そうな声だったという事実は覚えてるけど、ああどんな声だったかが脳から抜け落ちてる。
 思い出せない。思い出したいのに。
 どうして、どうして、どうして。あいつのこと忘れちゃいけないのに、志々尾のこと忘れたくないのに。俺の指の隙間を、志々尾の声は呆気なくすりぬけてっちまった――

 2006/02/06


 ■ 甘苦(良守×限)

 教室に香る匂い。昔――といってもそんなに前じゃない。結構最近だ――よく嗅ぎなれた馴染み深い匂いだ。甘さの中に苦さがほんの少しだけある、独特の香り。何故か教室だけに留まらず学校のどこへ行ってもそれを感じる。
 どうしてだろう、と思いながらぼんやりと教室の黒板に視線をやった。すぐに答えが見つかった。二月十四日。今日はいわゆるバレンタインデーなのだ。
 昔、お菓子の城を作ると公言(あんまり大っぴらに言ってなかったから違うか?)していたときによく使っていたチョコレート。漂うその香りは、そのときの自分を彷彿させた。もう封印して久しい、昔の自分の姿を。
 ――いや、食うよ。
 その自分の姿に重なるようにフラッシュバックする記憶。苦手なのに無理をして食べてくれた、あいつ。
 とめようとしても、どんどん浮かぶ。切欠ができてしまったから、止まらない停められない。チョコレートの香りに乗って、あいつの姿がよみがえってくる。
 ぎり。握り締めたてのひらに、にじんだあかぐろ。――赤黒。

 2006/02/14