あべくん、と柔らかく心地好い音に名を紡がれる。甘く響く声が俺の鼓膜を揺らした。
 ゆるり振り返り、声の元を見つめる。するとはふんわりと笑った。は、あいつ──三橋と性格が全然似ていない。どっちかって言うと、向こうがこんな性格なら良いのに、と思ったりもする。もしそうだったら、試合のたびに意思疎通が完全に出来なくてやきもきすることもない。けれど、こうやって時折見せる表情や仕草は、ほんの少しではあるが、血の繋がりを感じさせた。

「なんだ?」
「そこ、ちがうよ」

 横からふわりと伸びてきた指が、大量印刷の安っぽい自習プリントの上をなぞる。ついさっき俺が書いた英文の一部でその指がぴたりと止まるのを、じっと見下ろした。

「ここ、間違い」

 その言葉を脳内で噛み砕きながらちらりとの机を盗み見る。プリントはしっかりと埋められ、あろうことか隅には落書きがあった。

「わかる?」
「……いや」

 自分で書いた英文に意識を戻す。けれど、何が間違えているかなんてわからなかった。(生憎、俺は理系だ!)(理系でも英語は大学入試に使うが)思わず眉間に皺を寄せ、自分のプリントを見下ろしていると、が助け舟を出してくれた。

「阿部くんさえ良かったら教えるよ?」
「ああ、頼めるか」
「お安いご用です!」

 椅子をずずいと引き摺り、俺の机の横にちょこんと座る。
 三橋は平均より低めの身長だし、それの双子の妹であるも、平均よりだいぶ低い身長だ。「廉は165あるから、私ももう少し伸びていいと思うの」といつも言っている。
 庇護欲、とでも言えば良いのだろうか。彼女を見ていると、彼女を囲い、守りたいといった衝動を憶える。
 ──眩暈にも似た、甘い感覚。

「阿部くん? 大丈夫?」
「あ、ああ。悪い、聞いてなかった」
「別に良いんだけど、……具合でも悪いの?」

 心配そうな声色できいてくるに、「大丈夫だから、もっかい説明頼む」と言う。苦笑して、はゆっくり言葉を紡ぎ出した。
 心地の好い声が、優しく甘く、耳に残っていた。




君の声は、一種の麻薬

ときどき、フラッシュバックする。



2006/08/02