俺の幼馴染は、という名前の高校生だ。
あいつはいつもマイペースで、しかし甘いものをくれる奴に懐くという、なんともまあ現金な性格をしている(だから俺は「バレンタインのチョコ」という面倒なものを受け取ってまでしてあいつに回してやってるんだが、がそれに気付く様子は一切合財ない)(いい加減気付けよ……)。
色々と考え事をしながら、弁当の最後の一口を飲み込んだ。弁当箱の蓋を閉める。
「あれ、次の授業って英語だったよね?」
間抜け面で紙パックのイチゴオレを啜っていた水谷が、ふと思い出したように問いかけてきた。その言葉に、(弁当だけでは足りなかったのか)購買で買ってきたパンを咀嚼していた花井は微かに眉を寄せる。
「いや、オーラルに授業変更って連絡あっただろ」
花井のその言葉に、弁当を食い進めていた箸を思わず止めてしまう。
「……マジかよ」
やらかした、と思わず呟く。疲れてンだろうか。
「ちょっと教科書借りてくる」と立ち上がると、阿部が忘れ物って珍しい! と水谷が絡んできた。うるさいと思ったが、まあ、言ってることは正しいので無視することにする。「無視かよ! 阿部はヒドイー」とふざけた声が聞こえてきたが、やっぱりそれも無視だ。
7組から1組までの距離は意外と遠い。その微妙な長さをぼんやりと特に何を考えるもなく、歩く。
「阿部くんは、絶対九組の三橋くんとできてるから!」
「そんなことない! 阿部くんはホモなんかじゃない!」
開けっ放しの引き戸をくぐった途端聞こえてきた見知らぬ女子たちの会話に、思わず俺はUターンして7組に帰ろうかという気分になった。
何が嬉しくて知らない女にホモ疑惑を吹っかけられなければならねーんだよ。しかも相手が三橋って。仮に三橋が女だとしても、あんなの相手に恋愛なんかできっこねぇだろ。つーかに聞こえて勘違いでもされたらどうしてくれるんだお前ら。
そこまで考えて、こいつらがのすぐ近くで話していることに気付いた。……自分の額に青筋が何本か浮かんだ。とりあえずの後ろに立ってみる。が俺に気付く様子はない。……苛立ちが、募る。
苛立ちをごまかそうとして教室を見渡すと、窓際に座っていた栄口と目があった。が、勢いよく逸らされた。逸らしたっつーか、腹抱えだした。……また神経性の下痢か?
「これだけ大事になっちゃったら、隆也の耳に入るのも時間の問題だろうなぁ……」
がぼんやりと呟く。「耳に入るのも」って、もう聞いちまってるっつーの。
「時間の問題どころじゃねーよ」
「ああ、やっぱりそう思う? カウントダウンは分刻みぐらいかなぁ……?」
「いや、今秒読み終わる」
「そりゃまた、きけ……ん?」
独り言に返事があったことに今更気付いたのか、が恐る恐る振り返った。
「た……っ隆也っ、わ、ひ、え!? い、いつからそこに!?」
「お前の友達が『阿部くんは絶対九組の三橋くんとできてるから!』って言ってたあたり」
がぱちくりと意外そうにまばたきした。その目が「よくその瞬間に怒り出さなかったね」って言ってる。多分。
「……よく、耐えたね」
ほらな。
「、後でタコ殴りな」
「なにゆえ私を」
「名前も知らねぇ女片っ端から殴れってか?」
「ごめんなさい失言でしたでも殴られるのは痛くてヤなんで何か他のことをお願いします何でもしますから」
「その言葉忘れんなよ」
これはチャンスだ、と俺は内心笑みを深くした。
「言っとくけど。俺は三橋なんか好きじゃねぇし、ましてやホモじゃないぞ」
女子団体を相手に、俺は吐き出す。まあ硬直状態でマトモに聴いてはいないかもしれないが、弁解ぐらいはさせろ。ていうか俺はホモじゃねえ。
「……知ってるよ」
「お前に言ってんじゃねえから」
つーか俺はお前が好きなんだよ! という八つ当たりを込め、の机の上にあった弁当の蓋を取ってそれで軽く頭をはいてやった。ぺし、とまぬけな音がする。
一人の女子が俺のほうを恐る恐る窺っているようだった。言いたいことがあるならさっさと言え。無意識のうちに、目が剣呑に細くなる。
「阿部くんは、ちゃんと、女の子が好きなの?」
「ああ」
短く返答して、これじゃ足りねぇか、と付け足した。
「──ま、今も昔もこいつだけ、だけど」
座ったままのの頭に手を軽く乗せて、さらりと牽制球を抛ってやった。上手く事態を飲み込めていないのか、聞き間違いだと思いたいのか、は驚いた顔で見上げてくる。
けれど、すぐには答えは与えてやらない。
「、オーラル貸して」
「へ? あ、はい」
差し出されたオーラルの教科書を左手で受け取る。
そして軽く屈み、にだけ聞こえるよう「今日の放課後、野球部見てけよ」と言い残し、1組の教室を後にした。野球部の練習終了後、どうやっての言葉を引き出してやろうかと考えながら――。
降って沸いた好機
俺だってこのタイミングで自分の気持ちをバラすつもりはなかったけど、チャンスはものにしないとな。
2008/11/03