夏も終わりかけた九月の上旬。廉は野球部を引退して、私も女子軟球のマネジの仕事の引継ぎをした。学校を離れる準備が――静かにではあるけれど――着々と進行していると思う。
 それに、もう「志望校を決めろ」と先生に詰め寄られる時期だ。三星は私立校で高等部まである。中高一貫校なので、外部受験をする人でなければ、そうぴりぴりする必要もない。(ただし、赤点がない人に限る。3つ以上ある人は、エスカレーターでも上にはいけない)
 そう思いながら、『進路希望調査最終決定』について、廉に尋ねたとき、事情はほんの少し変わった。

「第一希望は、高等部進級で良いかな?」
「――、あの、ね」
「ん? なあに?」
「……おれ、三星の高等部、……行かない」

 うそ、と言いそうになった自分と、ああやっぱり、と言いそうになった自分の二人が、確かに私の中に共存していた。
 廉の半身であるから、野球部での廉の虐げられっぷりは知っていたし(でも、あれは廉が悪いのではなく、やる気のない捕手の問題だと思う)、もしかしたら、三星から出て行くのかも、と思っている自分がいたのも事実だ。

「そっか」
「……う、ん」
「じゃあ、何所に行くの?」
「え?」
「どの高校? 私もついてくから、教えてもらわないと」

 私がそう言うと、廉は意外そうに目をぱちくりさせた。その反応は予想通り。ずっと一緒にいると、相手がどう反応するかもすぐに予想がつく。だからその対応を先に考えておける。ナイーブな今の廉に対しては、欠かせないスキル。

「『いやだ』って言ってもついてくよ。わたし、廉がいないとダメだから」
「――っ、いやじゃ、ないっ!」

 廉がめずらしく声をあらげた。次は私が意外で目をぱちくりさせる番だった。――こんなに過剰反応するとは予想していなくて。

が居てくれないと、俺、ダメ、だから、一緒にきてくれる、の……う、嬉しい」
「うん」
「けど、でも、」

 廉が言いよどむ。こういうときは、何か自分を蔑むような、聞いていて哀しくなるようなことを絶対言う。私はそれを聞くのが本当にいやで(だって廉にはいいとこいっぱいある。廉は自分のこと低く見すぎなの!)、廉が何か言う前に、私は廉の手をぎゅうっと包む。

「わたしは廉と一緒が良いの。他にはなんも必要なくて、廉と一緒にいたいの」

 まっすぐ目を見て言えば、廉の顔が見る見る幸せそうな色に染まっていく。

「――ありがと、う。俺も、がいれば、ほかは、なんも、いらない」
「嘘吐け」
「え?」
「『野球』が、抜けてるよ」

 そう言うと、廉は目に見えて止まった。動きを止めた。動いても、ぎこちない。

「おれ、野球は、もうやめる」
「え――?」

 今度こそ、私は面食らった。予想だにしない言葉を聞いて、私は目の前の廉のように動きを失った。あの、廉が、野球をやめる?

「……どうして?」
「おれ、が、いたから、叶くん――」

 またその話だ。確かに、あれを第三者視点から見れば、廉がただ投手にこだわっていただけにしか見えないだろうけれど、それは単に、捕手が廉の力を引き出せなかっただけ。廉が実力なしでしがみついていたわけじゃない。
 廉には努力で培ったコントロールがある。生まれつき備わってた速さではないけれど、毎日しゃにむに練習して手に入れたちからがある。

「廉には廉のすごさがあるんだから、そういう話はだめ」

 そう言うと、廉は口を噤み、俯いた。
 私は胸の奥でだけ溜息を吐いて、廉の頭をぽすんと撫でた。廉が、きょとんと見上げてくる。

「――わかった。高校行ったら、野球やめるのね」
「う、ん」
「いまいち納得いかないけど。廉がそれでいいなら」

 そう告げると、廉は複雑そうな顔を一瞬して、でもすぐに綻ぶように笑う。そして、ぎゅうと私に抱きついてくる。
 ――あ、廉、また身長伸びたのかな。何時の間にか、私と廉の身長差は、大きくなっていた。




拝啓、神様

何故、廉が野球を止めねばならないのですか。



2006/08/02