――今日は入試。廉とは受験番号が大分離れてるから、教室も違う。廉は今頃、試験前の最後のチャンスだ、と言わんばかりに、私が作った重要事項プリントと睨めっこしてるだろう。かくいう私も、最後のチェックに勤しんでいる。一時間目の数学の公式をずらずら書いた紙に視線を滑らせながら、ぼんやりと考える。
お母さんに「埼玉の高校に行きたい」と電話越しに打ち明けた時、お母さんはひどく驚いていた。けれど、私たちに譲る気がないとわかると、「そうねえ、西浦なら制服ないし近いから……」と、渋々ながら了承してくれて、ロスタイムのように無意味に過ごす予定だった残りの中学校生活は、すこし忙しいものになった。
廉が「三橋が西浦か……少し、厳しいぞ」と先生に言われてしまって、「埼玉行けない……」と半泣きになりながら私に縋ってきたのを思い出す。「頑張れば大丈夫、私がいるんだから!」とフォロー? をして、必死になって彼の頭に叩き込んだ。高校受験は学校選びさえ間違えなければ97パーセントが合格するって聞いたことがあるから、廉をその97パーセント側にしようと必死だった。――私の成績は、先生に「大丈夫だな、余裕あるぐらいだ」と言われたので、そんなに思い詰めはしなかったけれど、「もし廉が落ちたら」と考えると、言い知れぬ恐怖に襲われた。廉と一緒にいたくて受けるのに、私が受かって廉が落ちるなんて、本末転倒もいいところだもの。
「けど、まあ、どうにかなるよね――?」
ぽつり、と転がすように呟いた。筆箱の中からシャーペン二本と換えのシャー芯、消しゴムにコンパス、三角定規一組を机の上において、ふっと息を吐く。腕時計に視線を落とすと、時計の長針が試験開始時刻の五分前を示していた。
私は頭を振って、雑念を振り払う。――今は、自分のことに集中しなければ。色んな方向に飛んでいた思考のスイッチを切る。自身を静める。またひとつ、息を吐く。――リラックス、リラックス。
* *
「終わったぁあ!」
試験終了のチャイムが鳴るのとほぼ同時に、教室のあちらこちらから、そんなシャウトが聞こえてきた。受験番号は同中出身の子たちで固まるから、きっと中の良い子も固まりやすいんだろう。終わったねえ、お疲れ様! なんて声が聞こえてくる。私以外に三星からここを受験した人なんて廉ぐらいしかいないから、ちょっと淋しい。
時間がすぎるのは、予想していたのよりもあっという間だった。本当に。数国理社英。あいだにお昼ご飯の時間があったはずなのに、呆気なく終わってしまった、という感じ。よくよく思い出してみるけれど、試験内容なんて半分も覚えてない。どれだけ私が気を張り詰めすぎて一杯一杯だったのが窺える。
――もう試験が終わったんだし、もう考えるのはやめよう。と意識を切り替えて、ファイルに最後の試験(英語だ)の問題用紙を挟んで、ファイルを鞄に入れる。そして、立ち上がりいっかい伸び。
「さて、廉は何所かなー……」
まだ受験教室にいるだろうか。ならば、確か一番端っこだったような……と思って廊下に出ると、何かにぶつかった。何事だと思ってそちらに視線を向けると、見慣れたふわふわの薄茶の髪。
「――廉?」
「…………」
廉の顔を見上げる、と、廉は今にも泣きそうな表情で、私の名前を呼んだ。廉の手にそっと触れると、ぞっとするくらい冷たかった。この手で試験受けたの? 朝ご飯食べたよね? お昼食べ損ねた? もしかして、会場で具合悪くなった? 単なる緊張が未だ続いて?
「どうしよう……俺、……お、ちた……」
「だ、大丈夫だよ、廉。だから落ち着いて。ね?」
廉の手を両手で包みながら、言う。けれど廉は顔を左右に振って、小さくぽつりと呟いた。
「だって、俺、理科のとき 受験番号 書かなかった気が、する……」
「――気がするだけ、でしょ? 大丈夫。何だかんだ言って書いてるって」
私も受験番号書き忘れそうになった教科があったけれど、試験中、監督の先生がとんとんとその場所を示してくれて気が付いたから、書いてなかったら何かしらのアクションがあるはずだから、大丈夫だよ。
そのような旨を告げると、廉は少しほっとしたような表情を浮かべて、「なら、うん」と、小さく頷いた。
「じゃ、帰ろうか、廉」
「う、ん!」
今日はお母さんの家で一晩過ごし、明日の朝、群馬のルリの家まで帰る。私と廉は、久し振りに自分の実家へと、帰った。
入学試験
出来云々よりも、今は、お家に帰ろう。
2006/08/04