廉とふたり、連れ立って歩いていたけれど、私はとうとう衝動に耐えられなくなった。廉が他の人とやる野球を止めてしまうということが、何より私にとって耐え難いことだったのだ。野球に関して、私はプレイする側の人ではなかったけれど、それでも、廉にはずっと野球を続けてほしいのだ。

「私、ちょっとコンビニ寄ってから帰るよ」
「え?」
「廉は先に帰ってて良いよ」

 ――けれど、今の廉には、何を言っても無駄なんだと思う。帰って、ゆっくり時間があるとき――それは例えば、廉が投球練習をしているときだとか――に、話せばいい。どうしても今解決する必要がある話ではない、と思う。春休みが終わることまで、もしくは、部活勧誘期間が終わるぐらいまでに、解決できれば良いんだから。
 自分にそう言い聞かせながら、私は唇から嘘を紡ぐ。廉はきょとんとした表情をしたけれど、すぐに頷いた。

「わかった。じゃ、気をつけ、てね」
「うん、廉も車には気を付けてねー」

 離れていく廉の背中を見送って、私は西浦に踵を返した。
 確か、校舎のすぐ近くにあったグラウンドに野球をする場所はなかった、と思う。じゃあ何所にあるのだろう、と逡巡したまま歩き続けていると、学校の校門まで戻って来てしまった。どうしていいかわからずに、辺りを見渡すと、少し歩いたところにもうひとつグラウンドがあった。あっちか、と謂れもない確信を抱いて、私はそっちのほうへと歩き出した。


 * *


 ――グラウンドが、拡がっている。『女子軟球のマネージャーをやっていて見慣れたグラウンドと似ている』とは、お世辞にも言えなかった。勿論、『廉がいた野球部のグラウンドに似ている』とも言えない。至るところに雑草が生えている。マウンドもない。本当に野球部があるのかという不安すら感じる。

「何……これ」

 小さく呟いて、グラウンドを見つめた。廉が高校に行っても野球を続けられるのではないかという僅かな期待は、打ち壊されてしまった。
 もう野球はやめるって言ったけれど、まだ毎日的に向かって練習している。――本当は、やりたくて堪らなかったのに。続けたくて堪らなかったのに、野球部員のために、叶くんのために、三星での野球を諦めた。高校に行って続けられるなら、続けてほしいと思ってる。けれど、それも無理なのだ。

「まさか」

 金属の柵に指を掛ける。かしゃ、と乾いた金属特有の音がした。
 廉に野球をやっててほしい。野球をやっているときの廉は、一番いきいきしてる。これ以上ないってくらい幸せそうな廉を間近で見ているのが、私の一番の幸せ。

「野球部が無いなんて予想外――」

 目が熱くなりそうになるのを、振り払う。ぱたぱたと手でまぶたを冷やす。
 泣いちゃだめだ。私の僅かな変化も、廉は感じ取ってしまうから。こういうときだけ、ふたごじゃなければよかったのに、と思う。私たちは二卵性双生児なのに、こういうところの根幹のあたりが一緒なのか、感情の動きが――ほんの僅かではあるけれど、通じてしまうのだ。

「……」

 誰もいない、雑草だらけのグラウンドを見ているのが嫌になって、私は俯いた。ローファーのつま先が見える。遠くからは、陸上部かサッカー部か――外でやる野球以外の部活の声が聞こえてきた。遠くからなのに、よく聞こえるな。良いなあ、活発なんだ。と他人事のように考えた。

「うわー……すごい惨状。今年から、だもんね」

 ぼんやりしていると、後ろのほうから声が聞こえてきた。だんだんと、その声は近付いてくる。――学校の関係者の人(先生とか)かな、でも、その割には声が若い。

「ああ。今年から硬式だから、こんなに雑草だらけなのも無理ないだろ」
「一年だけで九人そろうのかな」

 ――今の話によると、ここの野球部は今年から、硬式になるのだろう(もしくは今年創設?)。
 良かった。廉が、野球を続けられるかもしれないのか。でも、もし仮に入っても、捕手が、(三星にいた時のように)廉のすごさに気付かなかったら、と思うと怖かった。投げることに対する廉の執着は、廉の近くにいた私がよく知っている。だから、もし気付いてもらえなかったら、おじいちゃんのコネのないここじゃ、廉は絶対投げさせてもらえない。けれど、気付いてもらえら、そうすれば廉は絶対にすごい投手として大成できるはずで――。
 色んな感情が綯交ぜのごちゃ混ぜだ。自分でもよくわからない感情が渦巻いてる。くらくらする。どうしよう、頭がオーバーヒートしそうだ。こんなにぐちゃぐちゃの感情のままで廉に会ったら、絶対に読まれる。感情の内訳までは読まれずとも、私がすごい悩んでるって、ばれてしまう。

「あのー、大丈夫ですか」
「……」
「あの、大丈夫、ですか……?」
「――え、私、ですか?」
「あ、はい」

 唐突に話し掛けられて、私は俯いていた顔を上げた。目の前には、心配そうな表情を湛えた男の子が一人。その奥に、もう一人男の子。
 私に話し掛けてきた声は、さっき、「今年からだもんね」といった声と、同じだった。




僅かな希望

どうか、彼が野球に戻れますように。



2006/08/27