心配そうに私を見つめている一対の目は、とても優しそうな目だった。私は手に込めていた力を緩め、柵から手を放した。ほんの少しだけ、指先が痛い。力を入れすぎたのだろうか。白っぽいままの指先を一瞥して、私は話し掛けてくれた彼に返答した。
「――あ、大丈夫です。ご心配かけてすみませんでした」
「あ、大丈夫なら、良いんだ」
一礼してそう告げると、彼は安心したように笑った。この人はいい人だ。もし入学した後に会うようなことがあったら、このお礼を言いたいなあ。こんな不審人物の心配までしてくださって、ありがとうございます……って。私はぼんやりとそんなことを思いながら、ひとつ質問をした。ちょっと前まで、彼らが話していた内容が本当なのか、確認したくて。
「ここって、何部のグラウンドなんですか?」
そう訊ねると、目の前の少年はうん、と頷いて言葉を続けた。
「野球部のグラウンドだよ。――といっても、今年からなんだけどね」
「そうなんですか。じゃあ、二人は野球部の部員?」
「ん? ああ、そうだよ。まあ、厳密に言うとまだだけど」
「まだ?」
「今年入学なんだ、俺たち」
――この人、同い年だったんだ。なんだかショックを受けた気分。今までの話し振りから、野球部設立をしようと学校で活動か何かをしていた人かと思い込んでいた。いちいち敬語を使う必要がなかったのか、と思うと少し落ち込む。
「そうなんですか――」
今年から始動する野球部。多分、先輩とかはいないんだろう。いるんだったら、このグラウンドはもう少し綺麗であるべきだ。きっと、これから彼らが雑草を抜いて、整備して、マウンドを作ったりするんだ。――これから、ここの野球部が始まるのだろう。
「大変ですね」
「うん、確かにそうだけど――俺、野球が好きだから」
私は一瞬目をまばたかせた。その言い方が、まるで廉みたいだと思った。目の前にいる少年は、きっと、純粋に野球が好きなんだ。
「――栄口」
「あ、ごめん阿部。――えと、俺、そろそろ」
「いえ、引き止めちゃってすみませんでした。野球、頑張って下さい」
「うん、ありがとう」
しまったしまった。そうだよね、これからあの惨状を野球をするためのグラウンドにするんだから、こうやって無駄にお話してる余裕なんてないんだよね。時間使わせちゃって、申し訳無いことしたなあ。
私は中にはいっていくふたり(さかえぐちくんと、あべくん? だよね。あのふたりの会話から察するに)を一瞥して、歩き出した。一度だけ振り返り、グラウンドを見つめた。ふと、ピッチャーマウンドに廉がいるような気分になったけれど、それは勿論、気の所為だった。思わず苦笑するのと同時、ふと、柵越しにあべくんとやらと目が合った――ような、気がした。
始動の胎動
ここで始まる野球の中に、廉の姿はあるのだろうか。
2006/09/02