…本音は、言ってはいけないの









好きじゃない、なんてっても











「…さん、今ちょっとよろしいですか?」


廊下の一角で、カイン様の近侍であるジョシュアさんに話し掛けられた。
私はまだ仕事が終わってないのよ。向こうにあるお部屋のリネンを取り替えたいの。
(こんな真昼間にメイドの仕事が終わるわけなんてないのだけれど)
っていうか、近侍が主人(と書いてカイン様って読ませるの)から離れていいの?
身の回りの世話するならずっとついてなさいよ。
カイン様はただでさえお父上様がお亡くなりになってから情緒不安定なんだから。
だから、今すぐカイン様が居られるところに向かって差し上げて下さいな。
…と、言いたい事はたくさん頭に過ぎったのだけれども、そんなことを一切表に出さずに私はジョシュアさんに返事をした。


「ええ、ちょっとでいいのなら」
「そうですか、じゃあ少々こちらへ」
「え!?」


左腕を引かれ、とある客室に引きずり込まれそうになる。
待ってください、こんなところをハウスキーパーに見つかりでもしたらどうしてくれるのよ!
私仕事を失って路頭に迷っちゃうわよ、やめてよ!
…と思っていても相手に露ほども感じさせるわけにいかないのが、この仕事の辛いとこよね。
おかげで顔は笑って心は般若ってことが普通に出来るようになっちゃったわよ。


「…ジョシュアさん、な、長話になるんですか?」
「聞かれたら困る話なだけですよ」
「そういう話は自由時間にして頂きたく思うのですが…」
「すぐ済みますし、自由時間はカイン様から離れるわけには行きませんので」


『今なら離れても良いのかよ』と言いそうになった自分をゆっくり押し止めて、周りを見渡す。
…誰も見ていませんように、と思って見渡したはずなのに、同僚で友人の菫と目があった。
私に親指をぐっと立てて何かを口パクで伝えてくる。


 がんばれ。私は応援するよ、友人の恋路を!


一瞬で脱力した。誰と誰が恋してると思ってんのよこの子は。
何かを口パクで伝えようとする前にまた菫の口が動く。


 長く営んでても大丈夫、カイン様のお部屋は私がやっとくからね!


『違う、違うのよ!』そう言おうとした瞬間に、ジョシュアさんの手によって私は完全に部屋の奥に連れて行かれた。
間髪いれずに扉が閉まる。
……絶対、誤解してる。誤解された。


「菫の誤解あとで解かなくちゃ…まあハウスキーパーやメイド長に見つかって無いだけマシだけど」
「?」
「…おわかりになりませんか」
「あまり…」
「知らないならそのままでいるのもありかと思いますが」
「そうですか」


あまり色恋沙汰に興味がないのか、はたまたハウスキーパーの毎朝の注意(というより小言だけど)を無視しているのか…。
ハウスキーパーは家内の司令官のようなもの。
そのハウスキーパーの大切な仕事はスタッフの管理監督なんだそうで。
その管理監督がプライベートまで及ぶのはいつもやりすぎだと思うんだけどね。
…まあ使用人が何かやらかして主人の顔に泥を塗ったら困るから、だよね。


「で、ジョシュアさん何の御用事ですか?」
「カイン様のことで、少し」
「…カイン様の?」


何か他のことを言われるのかと思ってたから拍子抜け。
…でもただのしがないメイド一人にカイン様関連のことで何を言うことがあるのかしら。
カイン様のことだったら、ちゃんと聞くわよ。


「はい。…さんは驚かれるかもしれませんが――」
「……なんでしょうか」
「カイン様は、さんのことが好きだと仰いました」


……キキマチガエデスカ?
それとも言い間違ったんですか?


「…最近、ちょっと耳が遠いようなので、申し訳ありませんがもう一度言って頂きたく思うのですが」
「カイン様は、さんのことが好きだと仰いました」


…ガッデム!
ちょっと待って。これジョシュアさんとできてるって噂立てられるよりやばくない?
一般階級・一般市民、むしろ労働者階級にいるはずの私。
…そんな私と、まあ貴族に属するカイン様。
好き嫌い以前の問題にさ、冗談じゃないかと考えるほうが妥当だよね。うん。
脳内で算盤を弾いて結論を導き出すまでおよそ0.5秒程度。
私は、ごく普通に眉を顰め、口許に手をやりこう言ってのけた。


「……まあ、ジョシュアさんもご冗談を…」
「カイン様の名を騙ってまで冗談を言うものですか」
「…………」


カイン様の健やかなるご成長を祈っているジョシュアさんのことだから、多分これは本当のことなんだと思う。
でも、私はそれに答えられない。答えては、いけない。


「私はしがないハウスメイド…人手が足りないときはパーラーメイドの仕事をしたりもしますが、
 私がメイドであることには変わりがありません」
「……」
「ですから、私がメイドである以上、カイン様のお気持ちに応えることはできません」
「なら…」
「メイドを止める気も毛頭ございません。私が生きて食事をとる手段なんです」
「ですが」
「何度言われようが気は変わりません」


気は変わってはいけない。
もし私がカイン様のことを好きでもそれには応えてはならない。
これはもうハウスキーパーにとやかく言われるからとかそういうのではなくて。
世間の風当たりとか、そういったものも勿論あるけれど、本当はきっと


「……それに、ジョシュアさんも本当は私が応えないほうがいいと思っていらしたんでしょう?」
「…まあ、それは…そう…」


語尾を濁すジョシュアさんに私は心の中で溜息をついて扉に手をかけた。
つい、癖でドアノブに手を掛ける前に振り向いて礼をしようとしてしまった。
胸にレースが裾と紐にはフリルがついた薄く柔らかなモスリン地のエプロンが、翻った。
…左手首が、掴まれて。


「…私、そろそろ仕事に戻らせて頂きたいのですが」


我ながらちょっときつくて、冷たい物言いだったかもしれない。
ジョシュアさんが驚いたように小さく目を見開いた。
でも、手首を縛める力は決して緩まなかった。


「…さんは、カイン様のことが好きではないのですか?」


ジョシュアさんの質問は、私の心を揺さぶるには十分すぎるほどだった。
心臓を手で直に触れられたのかと思うくらいに揺さぶられた。


「…好き、ですよ…主人としては。…男性としては、好きでは…ありません」
「………」
「失礼致しました」


好きではありません。
……好きでは、…ないのです。
決して、カイン様のことを好きでは、ないのです。


この頬を濡らす滴も、決して涙ではありません。


私は誰にともなく言い訳して、エプロンで涙を拭った。





2005/04/07
メイドさんが書きたくなって気がついたらいつもより格段に長い作品が。
…しかもカイン様がお相手のつもりで書いたのにジョシュアしか出てきてない…
これは色々とどうなんでしょうね?ごめんなさい、カインとのラヴラヴ期待なさった方…
私がメイド大好きなんです。メイドさんっていったらみんな思い浮かべるのはハウスメイドかな?
個人的には実用性皆無のキャップとレースいっぱいなエプロンのパーラーメイドが好きです。
黒ワンピ×白エプロンの組み合わせが最強だと思います。
あ、やばいあとがきじゃなくてメイドさんきゅんきゅん話になってる…!

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