夜も更けり、いわゆる丑三つ時と呼ばれる時間になってやっと家に帰ろうとしている僕は、見る人によっては、それは大層不審人物だったことだろう。――まあ、近所の家の番犬代わりのポチエナやグラエナには顔も匂いも覚えられていたのか、吠えられなかったのが幸いである。一ヶ月近く帰っていなかった家の鍵穴に鍵を差し込み捻る。扉が容易に開き、僕は疲れきった体を家の中へと押し込んだ。
手探りで電気をつけると、やはり、前に帰ったときとほとんど変わらない様子だった。夜中だし、シャワーを軽く浴びたら寝て、発掘した石の片付けは起きてからにしよう。
† †
ふう、と息を吐いて、寝室へと歩く。電気を点け、ベッドに近寄って瞑目した。何故か自分のベッドの蒲団が膨らんでいる。何事かと思って覗き込めば、見知った少女がベッドの中で静かに眠っていた。――どうして、ちゃんがここに? 唐突のことに驚きを隠し得ない。鍵はちゃんとかかっていたのに、どうやって? と思い、辺りを見渡すとベッドサイドに置いたテーブルランプ脇に答えが置いてあった。隣りの家に預けてあった鍵があったのだ。ちゃんは何かしらの関係で、そこから鍵を借りて入ったのだろう。まあ、ちゃんだし怒る気もない。むしろ、歓迎だとすら思う。一回りも年下の子にこんな感情を抱くなんて、軽くどころか列記とした犯罪だとわかっているけれど、それでも彼女には、どうも惹かれてしまう。
ちゃんが眠っているなら彼女が起きるまで寝れないので、本棚から採集に出かける前に読みかけのまま放置していた本を取り出して、ベッド脇の椅子に腰掛ける。そして、彼女の額にかかっているチョコレートダーク色の髪をよけて、そっと覗きこむ。無邪気で柔らかい寝顔だった。
「……ねえ、ちゃん」
僕がキミの事が好きだといったら、キミはどう思う? 寝ている相手にすら言えない言葉を、胸の中で問い掛けてみた。――まあ、きっとあんまり喜ばれはしないんだろうと思う。彼女らの年齢から見てしまえば、僕はもう許容範囲から外れているだろう。精々、旅先でよく会うポケモントレーナー程度の認識だろう。
自分で考えていて、嫌になってきた。それを取り消し取り繕うと、手に持っていた本を開いた。ページをめくる音がした。
「……ん、」
ちゃんが身動ぎして、小さく息を洩らす。ああ、起こしてしまったかと思って声を掛ける。
「ああ、ごめん、起こしちゃったかい?」
「……」
返事は「すー」という寝息のみ。寝言だったのかと結論付けて、時計に視線を落とす。3:12、ちゃんの朝がどれだけ早いのかはわからないけれど、長くともあと5時間もすれば目を覚ますだろう。それだけあれば、この本も読み終わるかと算段し、またページを捲った。
そして、ちゃんの髪をそっと指で梳く。その感触がくすぐったいのか、ちゃんはまた小さく身じろいで、小さく声を上げた。
「――ダ、イゴ……さん」
「ん?」
寝言だろうと思いながらも、相槌を打った。髪を撫でていた状態のまま止まっていた僕の服の袖をきゅっと摘んで、ちゃんはまた寝言を言う。
「すき、です……」
「え?」
「――ダイ、ゴ、さんが……すきです」
もうそれきり。彼女は寝言をいうことはなかった。けれど、僕の袖は掴まれたまま。そして、僕はさっきの寝言を額面通り受け取って、顔が僅かに赤くなっているのが自分でもわかった。膝の上に本を乗せ、掴まれているのとは逆の手で彼女の頬を撫でた。返ってきたのは微かな寝息。
「ちゃん……今のは、反則だと思うよ」
例え夢の中での告白だとしても、現実世界で嫌われているということはないんだろう? そうでしょう、ちゃん。口に出さず問い掛ける。――僕は、自惚れてもいいんだね? そっと彼女の唇に指を押し当てる。
「今度は、起きていてきちんと意識のある状態のちゃんから聞きたいね、今の言葉は」
僕は良い意味でも悪い意味でも、もう『大人』だから、ほんの少し臆病で。キミの唇から零れた言葉であろうとも、一度じゃ信じられないんだ。
何時の間にか、彼女は僕の服の袖ではなく僕の手を直接やわらかに握っていて。思わず口許から苦笑が零れた。きっと、僕は、妙なところで頑固だから、きっと自分からは何も言えない(世間体でも気にしているんだろうか)。でもだからといって、彼女から言ってくれる気もしない。彼女は自分のことよりも他人を重んずる。
――ならば今だけでもちゃんとの時間を、味わってもいいだろう?
「……」
指先に僅かな熱を感じながら、僕は本のページをまためくった。
2006/12/20
つまり、ふたりは実は両想いなんですよってお話。お粗末さまでした。
ヒロイン嬢の目が覚めたあとが一番の見所かしら。