揺れる波間、かたる静寂 05

「なんていうか、ごめんな、
「大丈夫だよ、気にしないで。ね?」

 そっとモクバくんの頭を撫でると、モクバくんは申し訳なさそうに表情をゆがめた。自分が頼んだことだからって、責任感じてるのかな。……気にしなくても良いのに。仕方のないことなんだから。
 モクバくんと一緒に長い廊下を歩く。

「本当に覚えてないんだな、兄サマ」
「……そう、だね」

 そう返事をしながら、さっきまでいた部屋で起こったことを一つずつ思い出していた。返ってきた瀬人くんに、モクバくんが私を紹介した後。モクバくんからの問いかけに対する瀬人くんの返答が、耳の奥にこびりついてはなれない。

「モクバ。先日も言っただろう。オレは剛三郎にチェスを挑んだ時のことと、お前に夢を語ったことしか覚えていない、と」

 その言葉を聞いた瞬間、心臓を鷲掴みにされたのかと思うくらい、愕然とした私がいた。海馬くんはもう何も憶えていないと知っていたのにも関わらず。確かに、あの頃聞いた「親戚中をたらいまわしにあった」という記憶は楽しいものではなかったし、施設での生活も常に幸せなものだったわけじゃない。そうだけど、それでも、私は瀬人くんやモクバくんとの生活も、それだけじゃなくて、他の友達との生活も楽しいものだったのに。

。……本当に、大丈夫か?」
「平気だよ、大丈夫。この間よりは、ダメージ少ないよ」

 仕方のないことだ、と、割り切ろうとは思っている。……ううん、割り切れる。別に、今は忘れてしまっていても良い。問題は、これから思い出してもらえるのか、という点にあるんだから。

「……早く、思い出してほしいね」

 あの頃のことも。あの時の笑い方も。施設のことを。……私のことも。
 モクバくんが弱気になっちゃ、私まで弱気になっちゃうもの。だから、いつもみたいに太陽みたいに笑ってて。そんな気持ちを抱きながらモクバくんに微笑みかけて、私はもう一度モクバくんの頭を撫でた。
 モクバくんがそっと頷く。そしてにこっと、私に笑いかけてくれた。

「そうだよな! あの頑固な兄サマが、たった一回会っただけで思い出すはずないよな」

 施設にいた頃は見なかった、ちょっと不適な笑い方。きっと、モクバくんも気付いてないだろう小さな変化。変化というより、成長なのかもしれない。けれど、普通の家庭で育った小学生が使うには、大人すぎる表情だと思った。
 けれど私はそのことは胸に取っておいて、何も口にはしなかった。変わらずに大きくなれるなんて、ありえないことなんだから。

「きっと、時間をかければ思い出してくれるよ。だから、一緒に頑張ろうね」

 咽喉の奥にじわじわと広がる痛みを飲み込んで、私はゆっくりと吐き出した。「……うん!」と笑うモクバくんには、きっと、私の置いていかれたような寂しさはわからない。
 ……わからなくて、いい。







write:2009/01/10 up:2009/01/12