揺れる波間、かたる静寂 08
モクバくんの手を握っていた手に、微かに力が込められた。驚いて本から視線を外す。
「……?」
モクバくんの掠れた声が聞こえたので、文庫本に栞を挟むのも忘れるくらい急いで本を置いて、モクバくんの方にに顔を向ける。私と目が合うと、モクバくんは驚いたような顔をしたあと、ほっと安心したように顔をゆがめた。
「おはよう、モクバくん。お水、飲む?」
「……飲む」
モクバくんの手を握っていた手を放して立ち上がろうとしたけれど、モクバくんは私の手を掴む力を緩めようとしてくれない。少し困って、空いているほうの手で、モクバくんの頭を撫でる。
「置いてかないよ。一人にもしないよ、大丈夫」
ね? と問うと、モクバくんはそっと手を放してくれた。いい子いいこするように頭を撫でて、少しベッドから離れる。少し離れたテーブルの上にメイドさんが置いていってくれた水差しとコップの乗ったお盆を持って、またベッドに戻る。お盆をベッドサイドチェストに置いて、モクバくんが体を起こそうとするのを支える。
「持てる?」
水を半分ほど入れたコップをモクバくんに手渡すと、モクバくんはこくんと頷いてから水をゆっくり飲み始めた。……なんかちょっと危なっかしいけど。意識が途切れがちってわけでもなさそうだし、大丈夫かな。大丈夫だといいんだけどな。
さんきゅ、と、モクバくんが空になったコップをこちらに差し出した。
「お代わりいる?」
コップを受け取ってから尋ねると、だいじょーぶ、と少し舌足らずな喋り方で返事が返ってきた。少し鼻声かも。コップをお盆の上において、さっき座っていたところにもう一度腰掛ける。そして、腕を伸ばしてモクバくんの額に手を宛がって、次に首に触れる。あつい。体温はもう上がりきったかな。
「寒気はある?」
「朝はあったけど……今はそんなに」
「そっか。じゃあ、そろそろ冷やそうか。今、メイドさん呼んで――」
くるね、と、立ち上がろうとすると、モクバくんに腕を引かれた。
「大丈夫だから、一緒にいてくれよ」
「でも」
「もっと具合悪くなったら絶対言うから。おねがい」
じぃっと、縋るような目で見つめられる。……私、記憶が定かだったら、昔っからモクバくんのこの目に弱かった気がする。ある意味成長してないなぁ。
はあ、と息を吐いて立ち上がりかけていた腰をベッドに沈ませる。
「具合悪くなったら、すぐに言うんだよ?」
「うん。……さんきゅ」
「いえいえ」
嬉しそうに笑って、モクバくんはまたベッドに体を横たわらせた。けれど、さっき意識を失って二時間くらい寝てしまったから、もう眠くもないみたい。寝たおかげか、具合もそう悪くはなさ過ぎないようで安心する。
確かメイドさんが三時間ぐらいしたら様子を見に来るって言ってたし、それまでならきっと起きていても問題ないだろう。
「オレ、風邪なんか引くの久しぶりだ」
「そうなんだ。最後に引いたのって、いつ頃?」
「3年くらい前かなぁ。その頃は、兄サマは勉強ばっかで全然会えなかったし。すっげー心細くて、寂しかったな。……まあ、今もずっと一緒にいられるわけじゃないんだけどな」
使用人は雇い主と同室に常にいてはならない、という規則でもあるのか、「風邪を引いたときでも常にそばにいてお世話をしてくれる人はいなかった」のだとモクバくんは言う。お金持ちっていうのは、よくわからない。近くにいて逐一様子を見ていたほうが効率いいと思うんだけどなあ。
「でも今日は、起きたらがすぐ近くにいてびっくりしたんだ。……すごい、嬉しかった」
にこにこと、邪気のない笑顔でそういわれるものだから、なんだか少し恥ずかしい気がした。
けれど、その恥ずかしさを感じるのとほぼ同時に、ここに来たばかりの頃の瀬人くんもモクバくんと同じように寂しい思いをしていて、けれどそれでも会わせてもらえなかったのかと思うと、ものすごく悲しくなった。
write:2008/12/04 up:2009/02/04