揺れる波間、かたる静寂 09

 話しているうちに疲れたのか、モクバくんはメイドさんが来て薬を飲ませてもらったりなんだりしているうちに、また眠りの世界に戻っていった。……やっぱり無理してたのかな。強制してでも寝かせておいた方が良かったかなぁ。と少し後悔する。
 けれど、見下ろした寝顔はそこまで苦しそうじゃないから、ちょっとだけ安心する。
 モクバくんの熱い手を握ったままの手と、モクバくんの寝顔を見下ろしながらいろいろ考えていると、遠くの方で扉の開く音がした。またメイドさんが来たのかな――と思いながらそちらを向くと、そこにはメイドさんではなく、予想だにしていなかった人物が立っていた。

「か、海馬くん!?」
「……モクバは」

 私の驚きなんて何のその、つかつかとまっすぐにベッドの方へと歩みを進める海馬くん。私なんか、そこらに置いてあるちょっとした置き物くらいの扱いなんじゃないかなあ、と思ってしまう。
 こんな扱いしてるような相手に会うことで昔のことを思い出してくれるのだろうか。ちょっと無理なんじゃないだろうか。……いや、弱気は駄目だ。ちょっとくらい強気でいないと! ……「海馬くん」の強い瞳を目の前にしていると、ちょっとくらい意思を強く持たないと負けちゃうし。

「今は寝てるよ」
「……具合は」
「どこまで聞いてるかわかんないけど……普通の風邪だってお医者さんが。薬も飲んだし、寝てれば治るよ」

 私がそう言うと、海馬くんはモクバくんの寝顔を覗き込んだ。健やか、とは言いがたいけれど、苦しそうに喘いでいるわけではない、病気のわりには穏やかな寝顔。それを見つめる海馬くんの目は、昔、モクバくんを見ていた瀬人くんの優しいまなざしそのもので、私は少し幸せな気分になる。
 私はモクバくんと繋いだままの手を離して、海馬くんの手にむりやり握らせた。胡乱げに海馬くんの眉が顰められたが、私はその表情には怯まない。だって、海馬くんのモクバくんを思う気持ちは、瀬人くんだった頃と何一つ変わってないんだから。

「はい」
「……何の真似だ?」

 そう尋ねながらもモクバくんの手を離さない海馬くんが、少しかわいいと思ってしまった。こんなに大きくなって、瀬人くんとは全然変わったのにね。

「風邪引いてる時って、他人の温度が恋しくなるものだから。モクバくんには、私より海馬くんのほうが良いと思うよ。大切な兄弟だし、ね」
「……」

 私の言葉に、海馬くんは返事をしなかった。そして彼は、用意されたまま私が腰掛けることはなかったロッキングチェアに腰掛けた。
 それを見届けて、私はなんとなくモクバくんの頭を撫でてから、腰を下ろしていたベッドから立ち上がる。

「お仕事は切り上げたの?」
「ああ」
「じゃあ、今日はモクバくんのそばに居れる?」

 そう尋ねると、海馬くんは「何故そんなことを聞く」と言いたげな表情を私に向けたけれど、少し逡巡してから首肯した。海馬くんって、モクバくんのことに関すると一気にとっつきやすくなる気がする。気のせいかな。

「モクバくん、寂しがってるみたいだから。今日ぐらいは一緒にいてあげて」

 きっと、モクバくんは昔のことをすごい気にしているんだと思う。同じお屋敷にいながら、一緒にいることが出来なかった大切な兄。だから、今一緒に過ごせることがモクバくんにとっては大切なことで、仕事や何かで離れてしまうことがきっと辛いんだと思う。
 だからこそ、モクバくんは遠い昔、一緒にいられた頃の記憶を海馬くんに取り戻してほしいと思っているんだろう。その頃のことも、共有したいと思ってるんだろう。

「礼を言おう」
「え?」

 海馬くんの口から「礼を言う」という言葉が出るだなんて思わなくて、思わず目をまばたいてしまう。

「……二度は言わんぞ。

 ふん、と視線を逸らす海馬くん。……結局お礼言ってないじゃない、とも思ったけれど。海馬くんに名前――いやまあ苗字だけど――を呼ばれて、胸が温かくなるような気がした。
 昔とは違う呼び名で呼ばれたのに、どうしてうれしく感じるんだろう、と微かな疑問を抱きながら、私はもう一度、静かに眠るモクバくんの頭を撫でた。
 ――あたたかい、ぬくもりを感じた。








write:2008/12/04 up:2009/02/07