揺れる波間、かたる静寂 14
海馬くんは私の左腕を掴んだまま(左腕に付けたデュエルディスクをつぶさに見つめながら、って言った方が正しいのかもしれないけれど)、顎に右手を当てて何かを考えているようだった。どうしてか私は動くことができなくて、その真剣な表情を見つめることしかできなかった。
海馬くんの顔をこんな至近距離で見るのは、初めてのことだった。
前髪を長くしているから翳って見えるけれど、引き込まれるように澄んだ青い瞳。いつもだったら昔と変わらないところや変わったところを探したりしただろうに、そんなことを考えることもなく。――きれいだ、と。素直にそう、思った。
「ふむ。まだ改良の余地有り、ということか」
そう呟くと、海馬くんはおもむろに私の左腕を解放した。ゆっくりと海馬くんの少し低い体温が離れていくのが、どうしてか少し寂しいと感じてしまう。その感情を持て余しながら、私はデュエルディスクを右手人差し指で軽くなぞってみた。
「サンキュー、。もう外してもいいぜ」
モクバくんの言葉に軽く頷いて、デュエルディスクを取り外す。
そして、元々あった場所に戻そうと腕を伸ばしかけると、すっとデュエルディスクが持ち上げられた。え? と思わず呟いてそのまま視線でディスクを追うと、さっきは一方的に見つめるだけだった海馬くんの青い瞳と、視線があった。また心音が上がる。じりり、何かがこげるような音が、脳の隅から聞こえてくる気がした。
海馬くんはふ、と軽く息を吐いて、微笑した。
「中々に有益な意見だったな」
「え? あれ、参考に……なる?」
「ああ、十分すぎるほどだ。やはり一般モニターの試用は重要だな。社員の試用では気付けなかったようだが……まあ、スーツの上からでは仕方あるまい」
そう言って、海馬くんは部屋の取り付けられたモニターに近付いて開発部の人にいくつか指示を出しはじめた。それをぼんやり視線で追うと、何かに服を引かれた。振り返ると、申し訳なさそうな表情を湛えたモクバくんが私を見上げていた。
「。悪い、ここまで連れてきておいてなんだけど、仕事できたからさ。今日はもうお開きで……良いか?」
「あ、大丈夫だよ。いろいろ見せてくれてありがとう」
「さんきゅ。ちょっとまってな、今誰か手が開いてるSP呼んで送らせ……」
「あ、大丈夫だよ! ここ、お屋敷からより家に近いから歩いて帰れるし」
「そうか? でも――」
「モクバ。行くぞ」
海馬くんがモクバくんを呼ぶ。モクバくんは「はい、兄サマ!」と勢いよく返事をしたすぐ後に「ごめんな、。またな!」と私に言い残して、こちらに歩いてくる(出入り口に向かって歩いてるだけなんだろうけれど)海馬くんの横に並んだ。……その光景に、思わず笑みがこぼれた。
「二人とも頑張ってね」
そう言うと、モクバくんは「当然だぜぃ!」というように笑顔を見せてくれた。そして、海馬くんはその言葉には大した反応を見せてくれず、がっかりしたのも束の間。
――ぽすん、と。
すれ違い様、海馬くんの手が私の頭を軽く撫でた。驚いて顔を上げようとするのより早く、その手は離れていく。長い指がひらりと揺れて離れていく軌跡を、視線で、たどる。
「気をつけて帰れ。ではな」
海馬くんの背が離れて消える。私はその方向をぼんやりと見つめていたけれど、これ以上ここにいて邪魔になってもいけないと思いなおして、そそくさと開発室を後にした。
下に向かうエレベーターに乗り込んで、1Fのボタンを押す。エレベーターの中は私以外に人はいなかった。
そっと、左の袖を捲る。擦れた所為か、やっぱりちょっとだけ赤くなっていた。その赤みに、そっと人差し指を這わす。たどる。さっき、海馬くんに触れられた感触を思い出して、ずくんと胸が熱くなった。
胸の熱さが、全身に広がっていく感覚がする。身体じゅうが熱に潤かされたみたいだ。頬が、燃えるように熱い。どうしてだろう、指先が、微かに震えだした。心臓の音がうるさい。
海馬くんに言われた言葉を思い出す、それだけで、心臓の音がびっくりするくらいうるさく、そして早くなる。
――ああ、そうか。
私はぼんやりと思った。いまさら、思った。
私、海馬くんのことが、好きなんだ。昔好きだった瀬人くんだから、とか、そういう理由ではなく。海馬くんを、海馬くんとして。――好きになってしまったんだ。
write:2009/04/04 up:2009/04/05