揺れる波間、かたる静寂 21
沈黙の重いベールに包まれた車内で、私はガラスの向こう側を流れる景色をぼんやりと見つめていた。早く、この重苦しい空気から解放されたい。いっそ話があるなら車内で済ませてくれれば良いのに、と思いながらも、私から何かを言うことはない。口を開いてしまえば、まだ捨てられない気持ちが溢れ出してしまいそうだった。
流れていく景色の向こう側に、溶け込んでしまいたかった。単なる背景になりたい。海馬くんの気に留められないような存在に戻りたいと思った。あのまま再会せずにいれば、こんな悲しい気持ちにはならなかったかもしれないのに。
ゆっくりと、自分のつま先に視線を落とした。
海馬くんは、何の用事で私を呼んだのだろうか。しかも、彼自ら出向かって来るだなんて、予想外にも程がある。やっぱり、バレッタのことだろうか。「貴様のものを置いていくな」とでも言われるのかもしれない。ああ、でもそれならば校門で返されていただろうか。
……さっき、気のせいじゃなければ、名前を呼ばれなかっただろうか。もう、あの頃のこと、私のことなんて綺麗さっぱり忘れてしまっていたくせに、どうして今さらあの頃みたいな呼び方をしたの?
なんだかからっぽな気分だった。悲しいのとは違う感情が心を満たしていって、私は小さく息を吐く。
それとほぼ同時に、キッと音を立てて、車が止まった。ゆるゆると顔を上げると、磯野さんが車から降りて海馬くん側の扉を開けているところだった。降りていく海馬くんの背中を見つめていると、じわりと目じりに涙が滲みそうになって、私は慌てて目を擦った。また置いていかれるような気分になっただなんて、そんな感傷、要らない。
もう、要らないんだよ。
広い屋敷だ、と、来るたびに思っていた。こんな大きなお屋敷に(使用人の方がいるとはいえ)二人で寂しくないのかな、とも、思っていた。海馬くんのことがなくても、モクバくんが寂しいなら遊びに来ようと思っていた。けれど、それも昨日で最後のつもりだった。それなのに、何故か私はまた海馬邸に来て、どうしてか海馬くんの少し後ろを歩いている。
正直、今すぐにも逃げ出したいくらいだった。海馬くんの口から何が紡がれるのか全くわからなくて、怖いのだ。けれど、ここで逃げても先延ばしにするだけだから、と、笑いそうになる膝に鞭を打ちながら私は海馬くんの背を追っている。
「入れ」
「……うん」
顎でしゃくるようにして、海馬くんは自室の扉を示した。もう早く終わらせてしまいたいという思いを抱えながら、私は海馬くんの部屋に一歩足を踏み入れた。シンプルで装飾品がほとんどない部屋。この部屋に入るのは二度目のことだった。一度目はあのバレッタを返した時。あれが、最初で最後のつもりだったんだけどな。
「そこに座れ」
声は返さず、こくんと頷いてから、応接セットのソファに腰を下ろした。それを見ていた海馬くんがふと思い出したように問いかけてくる。
「茶は何を」
「あ、お構いなく。……海馬くんのお話が終わったら、すぐ帰るから」
今の私にできる限りの笑顔で海馬くんを見上げてそう告げた。その瞬間、海馬くんの表情が微か悲しげに歪んだように見えたのは、私の願望なんだろう。
……少しでも私を気にしていてほしいという、別れを告げた今では持つことですらおこがましい、とても身勝手な、願望。
write:2008/12/17 up:2009/12/11